Natsu life

娘・家族・仕事。大切なものをもっと大切にしたい。お母さんエンジニアの思うこと。

入園式を終えて

今日、娘の入園式を終えました。昨日の夜までは、3年間通った保育園のお世話になり、間髪入れずの入園式。準備含めて本当に大変でしたが、どうにか無事に園生活をスタートさせらそうでほっとしています。

ちょうど半年ほど前に色々とあり、娘の幼稚園進級(脱保育園)と、自分の会社員復帰(脱フリーランス)を決めました。そんなわけでこの数ヶ月、親子共に変化が半端なくクタクタです。でも今日の入園式を終えて、私には幼稚園という選択があっていたと感じました。娘をそこに通わせたいというのはもちろんのこと、自分が属するコミュニティという観点からも、これでよかったと(少なくとも今の時点では)思っています。

幼稚園とは言っても認定こども園なので、子どもの預かり時間は約束されています。ただ、お昼過ぎまでは普通の幼稚園児として過ごすため、園生活の準備(袋物作りなど)や親が参加する行事など負担は満載。

特に平日の行事への参加は会社にも迷惑をかけるし、それなりの覚悟が必要ですね。

でも、今日の娘の姿を見ていたら、なんだか思考が一気に整理されました。絶対泣くと思っていた娘は、案の定式が始まっても園児の席には座れず。でも、最後は不安な顔をしながらも先生に連れられて行きました。いつ泣くか、いつ泣くかとハラハラドキドキしていたのは親だけで、本人は最後までやりきりました。

そして、式を終えたあとの娘は、本当にひとまわりもふたまわりも逞しくなっていました。表情も違えば、行動も違う。これは今まで以上にちゃんと見ていないと、わが子の成長を見逃してしまうなと感じました。

これまでの経験上、保育園だときっと私は甘えてしまう。甘えて保育園まかせになり、大事な成長を見逃してしまう。

保育園の目的はあくまでも保育です。親の仕事により保育に欠ける子どもを、その時間親に代わって保育してくれるのが保育園です。なので、これまでの3年間は本当に甘えっぱなしでした。甘えっぱなしが許される環境にあると思うのです。

でも、幼稚園の目的は教育です。保育は親がやって当たり前という雰囲気が充満しています。だから、子どもの世話が必要なときは親が出てきてサポートをするのは当たり前。年間行事の係をクラスの保護者で分担したり、子どものために必要な用品を作ったり。

これって、仕事を持っていると本当に大変なことです。でも、娘の幼稚園時代は今しかなく、そして私が幼稚園児の母であるのも今だけなので、この時間は本当に貴重だなと思いました。大変だから他人に任せるのではなくて、大変でもできる方法を見つけていきたいなと。もちろん、すべてを1人でこなすなんてできないので、周りの人の力を借りて、幼稚園の力を借りて、ときには親の力を借りて(遠方なので話しを聞いてもらうくらいですが。でもこれがすごく重要!)。

保育園だったらきっと、小学生になるまでの次の3年間もまたたっぷり甘えてしまうと思うのです。でも、幼稚園だと甘えようがない。強制的に子どものサポートをせざるを得ないのです。

幼稚園がいいとか保育園がいいとか、そういう論点ではありません。

単に性格の問題です。私の場合、子どものことを任せられる環境があればそこに甘えて、自分は仕事にばかり目を向けてしまう。これまでの3年間が結果的にはそうだったように思います。

それでいて、自分の中でそんな自分にちょっと苛立ちを覚えることもあります。このままでいいのかなと悩んでみたり、仕事ばかりでごめんねごめんねと思ってみたり。色々矛盾しているのですが、それが人のココロということですね・・・。

そして、今日の数時間で大きく成長したなと感じたように、これからもどんどん成長していくであろう娘の変化も、保育園に甘えていたらきっと私は見逃してしまう。

だからこそ、ある程度強制的に子どものサポートを課せられる幼稚園という環境が、自分にはあっているなと感じました。そして、それを通じて他の保護者の方々との接点が自然にできるこの環境が。

会社には迷惑をかけることになると思います。でも、その中でも最善を尽くせるようにやり方を工夫していくしかない。そう思うのです。

地味ですが、まずは子どもの健康管理を徹底することから始めます。行事などで会社を休まざるを得ない分、病気で休まないようにするしかない。健康管理を徹底してできるだけ病欠をなくせば、その分心置きなく行事や係に参加できます。

ありがたいことに、今の会社はとても理解があります。だからこそやっていけるという話でもあるのですが、その環境に感謝しつつ、今の気持ちを忘れずにこれからの3年間を楽しんでいきたいと思っています。

もちろん仕事の手を抜くつもりは全くなく、単にやり方の問題です。育児(介護もきっと同じような状況)のせいで時間的制約があったとしても、制約がない場合と同じだけの成果が出せるようなやり方を見つけていくべきだと思うのです。そうすれば、娘も自分も、そして会社もハッピーになれるのではないかなと。

実は、1年くらい前までは幼稚園など全く考える余地もなく、絶対に保育園だと思っていました。係とか保護者間のつながりとか行事とか、すべてがあり得ないと思っていました。それが今、180度思考が変化し、ここに至ります。変化のきっかけは色々とあったのですが、固定観念を持たずこの環境に飛び込んでみてよかったなと、今は心から思います。

そうは言っても、完全給食の認定こども園だから、やはり本当の幼稚園とは違います。あくまでも私の性格と、娘が通う園と、そして私たち家族を取り巻く環境の中で感じた、私の個人的な思いですので悪しからず。

まとまり悪いですが、今日の娘の変化を見て色々と感じたので、ここに残すことにしました。きっと、会社員+幼稚園は楽しいことばかりではなく、八方ふさがりみたいな状況になることもあると思います。そのときに、これを読んで今日の気持ちを思い出せるように、未来の自分に向けての覚え書きです。

入園準備にも便利な自作ワッペン

娘が4月からこども園へ転園します。

その関係で、いわゆる入園準備グッズを作っています。バッグやら上履き入れやら。あれやら、これやら。

あれこれ作っていく中で、ワッペンなどを付ける作業が出てきます。

子供たちは文字が読めないことが前提となっているので、名前を書くだけでは足りない。自分の持ち物を区別できるように、ワッペンをつけてあげましょうという園の計らいです。

ただこのワッペンが結構いいお値段する上に、市販品を使う以上、結局のところ同じものになる可能性があるのも事実。

そこで登場するのが、こちらのアイロン接着シート。

アイロン接着で、簡単にワッペンを自作できる優れもの。

柄物の生地で袋物などを作ったら、そのハギレが活躍します。程よいサイズのイラスト部分を活用し、オリジナルワッペンの完成。

オリジナルであるだけでなく、袋物と柄が揃うことで間違えにくい、まさに一石二鳥です。

名札用のワッペンを自作するのも簡単です。

写真左にあるように、シートのオモテ面に好きな生地を接着したら、ウラ面のハク離紙に裁断用の線を引きます。これに合わせてシートごと生地をカットすれば、ワッペンの出来上がり。

写真右上のように、名前を書くためのテープ(これもアイロン接着)を上から軽く押さえつけておけば名札用ワッペンの完成(このときアイロンの熱を加えすぎるとワッペン側のハク離紙がはがせなくなるため注意)。

使用時には、ウラ面のハク離紙(線を引いた面)を剥がしてアイロンで接着します。

タオルにはフックに掛けるための紐をつけるのですが、同時に名札もつけたいなと思い自作しました。先に紐を縫いつけて、その上にワッペンを接着します。

さすがにタオル地の場合、アイロン接着だけでは不十分なのでミシンをかけていますが、先にアイロン接着シートで位置を固定しているため、かなり綺麗に仕上がります。

そして何より、綿のハギレでワッペンを自作しようとしたら、この接着シートがないと周囲がほつれてきます。これを防ぐためには、わざわざ周りを折り込んで縫い止めるわけですが、この手間は半端ない。

ワッペン作成用のアイロン接着シートで、裁縫がまた楽しくなりました。

変化の大きい2016年

昨年の秋頃から色々と変化があり、しばらくブログの更新ができずにいましたがまた再開します。

私にとっての大きな変化。フリーランスを卒業し、9年ぶりに会社員になりました。
娘にとっての大きな変化。4月からの転園(こちらはまだ変化していませんが)。今の保育園が2歳児クラスまでしかないため持ち上がりできません。4月からは認定こども園への入園が決まりました。

私の転職(就職?)により、保育園のお迎え時間が遅くなりました。3年通って慣れ親しんでいる保育園なので、遅くなること自体は何とも思っていないようですが(迎えに行っても遊び続けていますし・・・)、物理的に時間がかなり制約されるようになりました。帰宅からベッドに入るまで2時間。工夫どころ満載です。

そんな新しいペースにもようやく慣れてきたところです。
そして会社員に戻り、育児×会社員のことについても色々と思うこともあります。

これらのことはまた改めて記事にします。

それよりも、入園準備を進めなくては・・・。

子ども包丁との出会い

娘が3歳半を過ぎ、いよいよ包丁に興味を持つようになりました。遠ざけていても仕方ない。覚悟を決めて、いざチャレンジ。

小さければ安全か?

とは言え、やはり勇気がいるものですね。最初は自宅にあった1番小さい果物ナイフを渡しました。刃渡ほんの数センチ、小さな小さなナイフです。それで、キュウリを切ることから始めました。

何となく、小さい方が安心感があったのです。安全かどうかなんてよく分からないけれど、大きいよりは小さくて軽い方がいいだろうと。

万が一のことを考えて、しっかり研いでから渡しました。もし怪我をしてしまうなら、切り口はきれいな方がいいから。

そして、ヒヤヒヤしながらも娘に何度か使わせてみて分かったこと。

小さければいいというものではない。むしろ、小さいが故に危ないことが多々ありました。

じっくりと娘の手元を観察していて分かったこと。

  • うまく切れないと、ナイフを横にむりやり動かそうとする。
  • 夢中になると握る位置が前に前にといってしまう。

ここに、危ないポイントが2つ。まず、力任せにキュウリをへし折ろうとするのは言語道断。はずみでナイフがどんな動きをするか分からないので、これは最も危ないと感じました。実は、切れない理由はナイフにあったのです。ナイフの形が良くなかった。

刃に高さがなく、握った状態で刃全体がまな板に接地しません。自分の握り拳が邪魔になり最後まで切れないのです。そして、あらぬ方向に無理な力をかけてしまう。これが、最初に直面した問題でした。

そして、この「刃の低さ」には、もうひとつ問題がありました。ナイフを握る位置です。夢中になると、握り直したりして試行錯誤をするわけですが、そのとき、刃に高さがないと、刃の部分まで握りそうになります。これにもまた、ヒヤッと背筋が寒くなりました。

素敵な子ども包丁との出会い

そんなわけで、このまま果物ナイフを使うのはかなり危険だと感じ、急いで子ども包丁を探しました。

子ども包丁と言っても様々です。その多くは、食事のときに使うナイフのように刃がギザギザしていて刃先が丸くなっているものが多いように感じます。

しかし、切れにくければ諦めるわけではなく、切れにくければ無理矢理にでも切ろうとする我が娘。それは最初の果物ナイフ期間に痛感したため、とにかく切れる包丁を探しました。スッと切れれば、大きな怪我にはならないはず、、、と信じて。

そこで出会ったのがこちらの包丁。

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説明には「3歳以下におすすめです。」と書いてありますが、3歳半の娘の手には十分なじんでいますし、まだしばらくは使えそうです。切れ味も抜群。

刃の高さが確保されているため、子どもが握った状態で包丁がきちんと接地します。また、刃がほとんど婉曲していないため、接地する範囲が広いのもポイントです(先端の方まで接地します)。これで、最後までしっかりと切ることができるようになりました。

また、うっかり刃の位置を握りそうになる問題からも解放されました。持ち手と刃のつなぎ目がはっきりと区切られていて、刃の方に手がいってしまうことがないようになっています。

さらに、重心が刃の方に寄っているようで(amazon.co.jpの説明より)、その効果があってなのか確かに切りやすそうです。まだまだ力が弱く、また力加減も分かっていないため、どうしても刃の先端が上がり気味になります。でも、あがっているよと声をかけてあげると自分で修正できるのは、考えられた重心のおかげなのかもしれません(他の包丁と比べていないので、実際のところは分かりません)。

この包丁、本当に買ってよかったです。

調理環境の整備

狭いところで作業をするのは危ないので、娘が包丁を使うようになったことをきっかけにキッチンを片付けました。娘のためのスペースを確保し、小さな木のまな板を置いています。まな板の下に、濡らした布巾を敷くと動かなくて安全です。

包丁を使わないときは、まな板の上ではなく、まな板の奥側に置くようにしています。ちょうど、布巾の上にまな板(手前)と包丁(奥)を置いている感じです。これなら包丁も滑らないし、手前に落ちてくる心配もないし(まな板が防御壁になっています)見ていて安心感があります。

濡らした布巾はかなり重要です。ここに行き着くまではまな板が滑ったりして少し危なっかしさがありました。布巾を敷いたら一気に安定しました。

これまでに娘がチャレンジしたのは、きゅうりの輪切り、大根(私が薄切りにしたものをいちょう切り・短冊切りにする)、しいたけ、シメジ・エノキの石づき落としくらいですが、少しずつ上達してきました。

初めての・・・

それは、しいたけを4分割しているときのことでした。

調子に乗った矢先、ついに。

側で見ていた私には触れたかどうかはっきりと分からないくらい、ほんの少しだけ包丁が左手の人差し指に擦りました。出血もなかったので、こちらも様子を見ることに。

無言で私を見る娘。

「・・・・・」

「なあに?」

「・・・・・」

怒られると思ったのか、びっくりして声も出なかったのか、とにかくジーッと私の方を見ていたので、

「まずは包丁をおいてごらん」とアドバイス

包丁が手から離れたら、だんだんと顔が歪んできて泣き出しました。

出血もなく皮が少しめくれただけで、怪我とは言えないくらい小さいかすり傷で済みましたが、娘にとっては初めての包丁による怪我。これまで、何度も「刃物は危ない」と教えてきましたが、百聞は一見にしかず。娘は、刃物の危険性を経験を通して理解しました。

それからしばらくは「今日はお手伝いやらない」と敬遠気味です。現在進行系なので、いつ頃どのような形でまたキッチンに戻ってきてくれるかは分かりません。でも、いつ娘が戻ってきてもいいように、娘の調理スペースはいつも片付けて待っています。

親としては、小さな怪我をたくさんして、大事なことを少しずつ覚えていって欲しいと思います。刃物は危ないけれど、正しく使えば怖くないんだということを、これからも伝えていきたいものです。

こんな本もあります。ずいぶん前に読んだのだけど、改めてもう一度読み返してみようと思う今日この頃です。

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子ども用の水筒〜コップ飲みか直飲みか

すっかり涼しくなり秋も本番になってきましたが、子どもと出かけるときには飲み物を持って行くようにしています。

外は涼しくても乗り物の車内や室内が暑くて喉が渇くこともあるでしょうし、これからの季節は、風邪予防のためにも定期的に少量ずつを飲ませることは効果的だと考えています(うがいの代わりになるため)。

最近では水筒と言っても多種多様。水筒選びをするにあたり、サイズや見た目(デザイン)はひとまずおいておいて、飲み方に着目しました。

一般的な水筒は、飲み方が大きく2つに分かれます。

  • 直接口をつけて飲むタイプ
  • コップで飲むタイプ

そして、蓋を取り替えることでこの両方に対応できるようになっている商品もあります。我が家ではこの両対応のタイプを選びました。元々は、直飲み8割、コップ2割くらいになると予想していましたが、結果としてはその反対、コップを使うことがほとんどです。

メリット:衛生的

ペットボトルでも、直接口を付けて飲むと雑菌の繁殖は防げないと言います。それなら水筒も同じことでしょう。口を付ける部分だけでなく、唾液や食べ物のかすなどが、水筒内に入ることもあるかもしれません。

コップであれば、口をつけた部分だけを洗うこともできるため、衛生面では圧倒的にコップの勝利です。

短時間の利用であればどちらでもかまわないと思いますが、長時間持ち歩くときはどうしても気になります。そもそも両対応のタイプを選んだ一番の理由も、これでした。

メリット:飲んだ(飲ませた)量が分かる

これは使ってみて分かったメリットです。直飲みだとどのくらい飲んだかは重さなどで推測するしかありません。蓋を開けて中を覗いても、やはり推測の域を出ないでしょう。

ところがコップなら、少なめで3杯飲んだとか、たっぷり1杯飲んだとか、はっきりと分かります。

これは例えば「さっき3杯飲んだから電車に乗る前にトイレに連れて行こう」などというように、子どものトイレ事情にダイレクトに影響してくるのです。娘はまだまだトイレ初心者。そんな娘とのお出かけで、『飲んだ量が分かる』ことはメリットを通り越して必須条件にすら思えます。

メリット:乗り物の中でも飲ませやすい

これは予想外だったのですが、乗り物、特に車の中でも案外上手に飲ませられます。

なんとなくコップの方がこぼれやすいイメージがありましたが、コップなら少量だけをつぐことができるのでそれほど心配はいりませんでした。逆にボトルごと口につけると、最初のうちは中身も多く車が揺れたときなどは心配です。

この3つが今感じている大きなメリットです。しかし、1つだけデメリットも。

デメリット:飲むために人か机のサポートが必要

水筒に直接口を付けて飲む場合、水筒だけを娘に渡せば1人で飲めます。しかしコップの場合には、机やベンチなどどこか安定した場所に置いてから(娘が)自分で注ぐか、親が注いであげる必要があります。

この点はやはりコップ飲みのデメリットだと感じます。

それでも、コップの方が格段に使いやすく、持ち歩くときはだいたいコップをつけています。

ちなみに、娘に買ったのはこちら。

使い勝手がかなり良く満足しています。ただ、子どもが多く集まる場所に行くと同じものをいくつも見かけるので、記名や目印を付けておいた方がよさそうです。

ともだちって何だろう?心に語りかけてくれる絵本

3歳くらいになるとずいぶんと会話も上達し、だんだん友達と遊ぶのが上手になってきます。

それまでは、一緒の空間にいてもそれぞれ勝手に遊んでいた仲間たち。それが今度は、それぞれに役割のあるおままごとをしたりするようになる。本当に成長を感じます。

そうは言っても友達との遊び方はまだまだ初心者。気遣ったりすることは苦手です。

いや、得意とか苦手とかの前に、そういう概念がまだ存在していないのでしょう。

ちょっと気の強い子が、ちょっと気の弱い子を言いなりにしてしまう。悪気はないけれど、どうしても自然とそういう関係が出来上がっていきます。保育園では、先生方が上手に誘導してくれたりして、大きなトラブルにはなりませんが、やはり親としては見ていてハラハラするものです(我が子はちょっと気の強い方です)。

これからますます複雑になる人付き合い。

どうやって教えていくのがいいのかなと色々考えています。

そんな中、出会ったのがこちらの絵本。

ボタンが1つ取れた状態でお店に売られていたくまのコールテンくんと、ひとりの女の子リサとの出会いの物語です。

お話の中でコールテンくんは、たくさんの「やってみたかったこと」を達成していくのですが、最後に達成したのが・・・。

続きはぜひ絵本を手にとってみてください。

ストーリーを紹介する代わりに、「松居直のすすめる50の絵本―大人のための絵本入門(リンク amazon.co.jp)」で松居直さんが書いている紹介文の一部を引用します。

気持ちが通いあうことは、相手の気持ちを感じることであり、また自分の気持ちに気づくことです。

「くまのコールテンくん」は、こんなことが伝わるような一冊なのです。

柔らかいタッチの絵といい、リズム感のある文章といい、本当に引き込まれていきます。ちなみに、訳者は松岡享子さん。うさこちゃんシリーズのうち比較的新しい本を訳している方です。


「友達は大切にしなくてはいけないんだよ」なんてこと、言葉で直接伝えても、まだまだ経験の浅い3歳児が理解するのは難しいでしょう。でも、こういう本を何度も何度も繰り返し読んでいくうちに、心で何かを感じてくれたらいいなと思います。


友達を題材にした絵本と言えば、谷川俊太郎さんの「ともだち」もお勧めです。ただ、3歳ではまだ少し難しいところがあり、心の中にストンと落ちるためには、もう少し大きくなってからの方が良さそうだと感じました。

それでも、図書館で借りてきたとき娘は、興味深く何度も何度も読んでいました。

大人が読んでも色々と感じるものがある絵本です。複雑すぎる大人の人間関係に疲れたとき、ちょっとページをめくってみると心が軽くなるかもしれません。

絵本ナビに谷川俊太郎さんのインタビューが掲載されています。どうやってこの本ができあがったかを知ると、より一層、作者の言葉に重みを感じます。

www.ehonnavi.net

最近つくづく絵本ってすごいなと思うのでした。

食品添加物について思うこと

食品添加物。色々なところでテーマになりますね。特に小さい子どもがいると、気になる話題です。

かくいう私も、できる限り食品添加物は避けています。自炊するときは。

平日は1日2回、休みの日は3回、食事の支度は結構な重労働なので手抜きも必要です。気分転換に外食だってしたいのです。だから、外で食べるときはあまり気にせず好きなものを思い切り食べる、食べさせる。でも、家で作るときはできるだけ素材の味が残るようにする、そんな感じのこだわりでやっています。

今の日本で、食品添加物を避けて生活するのはほぼ不可能に近いでしょう。そして、そもそもそんなに毛嫌いしなくても、それなりの知識を持って対応していれば怖くないと思っています。

私はその道の専門家でも何でもありません。これから書くことは、あくまでも1人の母親が個人的に思っていることをまとめたに過ぎません。添加物推進派にも反対派にも戦いを挑むつもりはまったくありませんのであしからず。

食品添加物の役割

食品添加物と言っても、色々な種類があります。私は普段、添加物を次の5つに分類して考えています。

  • 食品の日持ちを良くするもの
  • 食べやすくするもの
  • 味を付けるためのもの
  • 匂いを付けるためのもの
  • 見た目を良くしたりかさ増ししたりするもの

日持ちをよくするのはいわゆる保存料です。中には肝機能への影響や発がん性物質と認められているものもあり、最も世間から敬遠されがちなところでしょうか。

続いて食べやすさ。乳幼児の食事にはかかせない「とろみ」を付けるための添加物はここに属します。デキストリンという言葉を聞いたり見たりしたことがある人も多いのではないでしょうか。いわゆるデンプン質で体に害はないとされていますが、これも立派な食品添加物に当たります。

乳幼児やお年寄りなどは、汁物を飲み込むときにむせることがよくあります。それを防ぐためにとろみを付けるのが一般的で、市販品ではデキストリンが使われていることが多いです。家では片栗粉や粉寒天を使うと便利です。

次にくるのが味をつけるためのもの。本来、食品がもつ味で十分なはずですが、そこにちょっとした旨み成分を足したりすると、人間はもっともっと満足するようになります。これがこの添加物の最大の目的です。成分表示では、「調味料(アミノ酸等)」などと書かれていることが多いですが、中身は様々です。『等』と書いてある場合、その中身はもはや分からないのです。

そして香料。匂いをつけて美味しく感じさせるためのものです。匂いの力は侮れません。実は味なんてほとんどなくても、匂いだけで人間の舌と脳は騙されてしまいます。

その昔、ドイツに暮らしていた頃のこと。現地では大変貴重な納豆と、まったく貴重ではない普通のイチゴアイスが冷凍庫に入っていました。数日後、楽しみにしていた納豆を食べようと開けたところ、完全にイチゴ味。イチゴアイスの香料が強すぎて、納豆がイチゴ味になりました。嘘のような本当の話です。そのくらい匂いのパワーは強いのです。

最後は見た目や量の調整に使われる添加物です。天然・合成着色料は色をつけて見た目をよくします。合成着色料にも発がん性物質はあると言われています。また、ハムに注入される水はかさ増しテクニックとして有名です。水そのものが添加物なのではなく、水でかさ増ししても美味しそうなハムに見えるように添加物を使って形や硬さなどを調整するのです。

どこまでが許容範囲か

さて、何を避けて、何を許容するか。

あくまでも私の場合ですが、前者の2つを許容して、後者の3つは極力避けています。

発がん性物質と聞くと怖くなるかもしれませんが、適量であれば即座に影響が出るとは思えません。そもそも食品添加物だけががんを誘発するわけでもないので、ここはバランスが重要だと考えています。

逆に、保存料を徹底的に避けることで、食品の劣化が進み食中毒を招くかもしれません。かなり神経質に食材を管理しなくてはなりませんし、精神的に追い込まれるかもしれません。

もちろん、摂取のしすぎはよくないでしょう。でもそれは、食品だって同じこと。何事にも適量があるのです。絶対ダメとは考えず、自分の生活スタイルを考えてあまり気にしすぎないようにしています。ただ、もちろん無駄に取り入れることはしません。

食べやすくする(とろみを出す)ためのものは、もはやほとんど気にしていません。こういう食品添加物が、幼児やお年寄りの事故を防いでいることもあるでしょうし、ありがたく恩恵にあずかっています。

問題は残りの3つ。味とにおいとその他諸々。これはできるだけ避けています。

特に味と匂い。まだまだ味覚が完成していない幼児だからこそ、今、食品本来の味を覚えてほしい。ということで、化学調味料と香料には気を遣っています。もちろん、自炊のときだけですが。

最近では、スープの素やカレールーなんかでも化学調味料・香料無添加のものが出ていて、それほど苦労せずにそこそこのものが揃います。

あとは洋食だろうが和食だろうが、煮干しや鰹節、昆布、キノコ類のダシをうまくつかって野菜や肉、魚にしっかりと味がつくように心がけています。研究し尽くされた化学調味料にはかなわないかもしれませんが、食材そのものの味はしっかりと楽しめます。

見た目や量を調整するための添加物は、もはや百害あって一利なし(価格が安くなるという意味では一利はあるのかな・・)。神経質になりすぎる必要はないですが、そもそも不要なものなのでできる限り避けています。

自分なりの基準

忙しい毎日、手の込んだ料理なんてなかなかできませんが、できるだけたくさんの食材に触れさせることと、できるだけ素材の味がそのまま口に運ばれるよう、そこにだけはこだわって毎日キッチンに立っています。

子どもにとって今のやり方がいいのか悪いのか、食品添加物にもっと気を遣うべきなのか、もはや気にしすぎなのか、それはきっと、子どもがもっと大きくなって初めて分かることでしょう。それどころか、もしかしたら一生答えは出ないかもしれません。

だからこそ、色々な情報に振り回されて一喜一憂するのではなく、自分としてこだわるところとその理由をしっかり持ち、自分なりの線引きができることが大事だと思っています。

ちなみに個人的には、食品添加物よりも、動物の飼料に使われるホルモン剤や、植物を害虫などから守る農薬などの方が気になっていたりしています。


ちょっと古いですが、この辺りが参考になります。

読むと怖くなるような内容もあるかもしれませんが、あくまでも客観的事実として受け止めるのがいいと思います。

添加物も農薬も結局のところ避けては通れないもの。だったらできるだけ自分で取り除ける術を覚えておいて損はありません。

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添加物なんかより、食事の基本に目を向けたい。普段の料理で栄養素ひとつひとつまで意識することは難しいですが、そばに置いてときどき読みつつ少しずつ知識を蓄えています。