Natsu life

娘・家族・仕事。大切なものをもっと大切にしたい。お母さんエンジニアの思うこと。

年少の一年間を終えて

先日無事に、年少の終了式を終えました。

1年前、転園の不安を抱えて親も子もストレスに押しつぶされそうになっていたのも懐かしい思い出。今ではすっかり慣れ、幼稚園を楽しんでいます。

娘が通うのは『認定こども園』。

認定こども園とは、

教育・保育を一体的に行う施設で、いわば幼稚園と保育所の両方の良さを併せ持っている施設

です( 認定こども園概要: 子ども・子育て本部 - 内閣府 )。

こども園の歴史はまだ浅く、制度も過渡期。園によって体制は異なると思いますが、娘の場合、日中は「幼稚園児」として過ごします。幼稚園のクラスで帰りの会を済ませ、幼稚園時間が終了。ここで園バスに乗って帰宅する子もいればお迎えがくる子もいます。

しかし多くの子どもは、隣にある保育のための園舎に場所を移して「保育園児」としての時間を過ごします。

入園して気がついた世界

入園したての頃、娘には大きな気づきがありました。1歳になる直前から保育園に通っていた娘にとって平日の昼間は園で過ごすのが当たり前。それ以外の世界は知りませんでした。

ところがこども園では違います。「お帰りの歌」を歌ったあと、そのまま帰宅する子どもがいます。最初に心が折れたのがこのことに気がついたとき。元気よく登園した日でも、「お帰りの歌」を歌う頃になると帰りたいと言って泣いていたようです。しばらく続きましたが、先生が根気よく抱っこしてくれたこともあり、なんとか乗り越えてくれました。

次の気づきは夏休み。1ヶ月以上にもわたる夏休みのことを先生から聞いてきました。でも、娘の夏休みは4日間。

ヨソはヨソ、ウチはウチ。

この頃になると状況を理解し、与えられた中で楽しむことを覚えてくれました。夏休み中は朝から夜まで「保育園児」として過ごします。幼稚園の教室にも行かなければ、制服を着る必要もありません。このあたりでうまく気持ちの整理ができたようです。

冬休みにもなれば慣れたもの。疑うことなく、登園してくれました。

そして迎えた春休み。きちんとした「終了式」という儀式を終え、区切りがひとつつきました。でも、もちろん日中は園で過ごします。

娘なりに色々と考え、春休みだけど今はまだ年少さん、4月1日になったら年中さんになると決めたようです。娘にとっての区切りは終了式ではなく3月31日。1年でよくここまで理解し乗り越えてくれたなと。娘に感謝です。

一年間の親子の変化

この一年、娘は大きく成長しました。

  • 一色だけだった塗り絵は色鮮やかになり、お絵かきでは人の顔や体が描けるようになりました。
  • 折り紙が上手になりました。プリキュアのハートのステッキを量産しています。
  • 運動能力も少しずつ向上し、公園の遊具にも果敢に挑戦できるようになりました。
  • 病院嫌いを克服しました。注射ももう逃げなければ泣きもしません。
  • そして何よりも、物事を論理的に深く考え、説明ができるようになりました。(おかげで口論になると負けることが増えましたが・・・)

3歳と4歳の違いはすごい。

さて、私はどうだったかなと思い返すと、一学期を終えたときにこんなことを書いていました。

元々が幼稚園型のこども園ということもあってか、幼稚園時間の過ごし方は、働く親、そうでない親、全く同じ扱いです。行事あり、面談あり、係あり。
(略)
基本的に仕事が好きなので、ある程度の強制力がないと、ついつい子どものことは園任せになりがちに。どれだけ意識していても、受け入れ体制があれば、やはりそこに甘えてしまうものです。それを保育園時代の3年間で痛感していたので、今くらいの強制力の方がバランスが取れていると感じます。
1学期を終えて - Natsu life

慣れるまでは本当に大変でしたが、それでもいい環境だと思って過ごしています。そして、

  • 苦手意識を持っていた幼稚園ママとのつながり作りが楽しみになりました。
  • 平日の行事は無理という考えを捨てて、積極的に参加するための工夫をするようになりました。
  • 幼稚園の先生方の子どもたちへの愛情に、感謝、感心することが増えました。

自分なりに娘の幼稚園時代をどう過ごすかが見えてきた気がします。

娘から、そして幼稚園から学ぶことはとても多く、自分の価値観が変わることすらあります。娘は一人っ子。泣いても笑っても、私が幼稚園児の母である時間はこの3年間だけ。この3年間を大切に過ごしたい、今は心からそう思います。

年中時代の豊富(親としての)

さて、いよいよ年中。次の一年はどのように過ごそうか。

まず、行事への参加に加えもっと積極的に幼稚園に関わっていきたい、自分ができることを見つけていきたいと思っています。

育児は絶対に1人ではできない。親が近くにいない以上、結局一番頼れるのは幼稚園の関係者なのです。であれば、困ったときに頼ってばかりの関係ではなく、ときには頼られる立場でもありたい。そう考えると、幼稚園との接点を多く持つことは、結果的にこの先私たち家族にとってプラスになるものだと感じています。

そしてもうひとつ。帰宅後と週末の娘との時間を今まで以上に大切に過ごしたい。

できることがどんどん増えている一方で、友達との関係も深くそして複雑になっており、また思考の幅が広がることで悩むこともでてくるでしょう。

心の中にある小さな悩みや不安、言葉にはうまくできない問題がこれからはきっと増えていくと思います。そんなとき、彼女の変化に一番に気づいてあげられる家族でありたい。一緒に過ごす時間は短くても、できるだけ心に寄り添ってあげられるように意識していこうと思います。

そして週末はとにかくもっと遊びたい。家事に追われるのではなくて、家事は適当でもやらなくてもいいから、5歳という今しかない時間を少しでも多く記憶に残せるよう、積極的に娘と遊ぼうと思います。

そんな思いもあって、先日ちょうどこの記事を書きました。

これからは、平日を乗り切るために週末を使うのではなくて、週末遊ぶために平日を乗り切りたい。そして平日にはできるだけ自分の時間も確保して、心にゆとりを持って娘と接したい。
家事育児の効率化と諦め - Natsu life

考えながら工夫しながら、仕事も幼稚園も週末の家族の時間も、精一杯楽しみたいと思っています。

そのためには、家族、友人、そして会社の仲間に迷惑をかけることも、力を借りることも多々あると思います。そんなとき「お互い様」と言えるよう、自分も周りのためにできることを日々考え実行に移すことを意識して、次の1年を過ごしていきたいものです。

夢と魔法の国で娘がかかった魔法

5歳を目前にして、初めて娘と一緒に家族でディズニーランドに行きました。

初めてのディズニーランド。人も多いし歩き疲れるし、どうなることかと思いましたが、とても楽しんでくれました。

一緒に行った家族がディズニーランド大好きで、何から何までコーディネートしてもらいました。おかげで、本当に楽しむことができました。ありがとう。

娘の友達はオーロラ姫になると言うので、娘にはエルサのドレスを買ってあげました(メルカリですが…)。試着した時点でテンションアップ。ディズニーランドというまだ見ぬ世界に期待が膨らみます。

ショーを楽しむ

アナと雪の女王が大好きな娘。普段からエルサになりたくて仕方ない。そんな話題から、よし行こう!と決めた今回のディズニーランド。目指すはアナとエルサのウィンターグリーティング。

公式サイトに掲載されていた内容を一部引用すると(すでにイベント終了しているためページはもう公開されていません)、

シンデレラ城前のキャッスル・フォアコートで、アナとエルサたちが子どもたちと一緒に遊ぶグリーティングショー。

子どものためのショーですね。そして、

「アナとエルサのウィンターグリーティング」のお子様の参加方法
※1人で参加することのできる小学生以下のお子様は、キッズエリアにてショーにご参加いただけます。

参加型です。ただし、『1人で参加することのできる』子に限ります。

最初、娘はエルサと一緒に踊るとやる気満々。ずいぶん前から場所も確保し参加資格も得ました(この辺りの手際のよさも友達のおかげ)。

警戒心と人見知りという壁

娘は警戒心がものすごく強く、人見知りもするのでなかなか1人で行動ができません。

例えばレストランなどにあるキッズスペース。仮に親のテーブルから3メートルくらいしか離れていなかったとしても、1人では行きません。親の顔が見える距離でもダメ。遊びたくても我慢して親のもとで過ごすか、親を説得して連れて行くか。

そんな娘が、大勢の中に入ってエルサのショーに参加するなんて無理だろうと思っていましたが、本人がやる気だったのでまずは様子を見ることに。

最初は親と一緒に集合。ここではまだ意気揚々。

ところが、キャストのお姉さんが「保護者の方は席にお戻りください」と言った途端に一変しました。

勇気が足りなかった。

踊りたくない、エルサに会えなくていい、ママとずーっと一緒にいるのが一番いい。

娘は4歳、一緒にいたお友達は3歳。この年齢だと片方がぐずり出したら連鎖します。結局2人とも親元でひっそりと踊り、間接的にショーに参加することになりました。

遠くにエルサを見ながら一生懸命踊る娘。まあそうだよね、と納得する親。

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エルサの魔法

最初に魔法にかかったのは3歳のお友達でした。

エルサを見つめてジリジリと前進。キャストが暖かく迎えてくれたため、なんとか大勢の子どもたちの輪に加わりました。

その時キャストが娘も誘ってくれたものの、当の本人は目をそらして拒否。

ショーはそのまま進行し、なんとエルサとアナがフロートから降りてくることに。これはすごい。

じーっと見つめていた娘に、これが最後のチャンスかなと思いダメ元で声をかけてみました。

『エルサの近くに行きたかったら行ってもいいよ。〇〇ちゃんもいるよ。行ってみる?』

そして娘、大きくうなずいたかと思うと、覚悟を決めて走り出しました。全速力。(転ばなくてよかった…)

勇気を振りしぼり、不安に負けないように懸命に走り、お友達のところへまっしぐら。その後、2人はしっかりと手をつなぎ最後までショーを堪能。

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不安が自信に変わるとき

ショーが終わると2人ともなんとも自信に満ち溢れた顔で戻ってきました。エルサに会えた喜びと、1人で行動できたことへの満足感がしっかりと表情に出ていました。

親としても、娘が走り出したその瞬間は感動してなんだかホロリ。この先は、エルサどころではなかった。。


ディズニーランドはやはり夢と魔法の国でした。エルサの魔法にかかった娘は勇気をもらい、お友達の力も借りて、またひとつ成長したのだと思います。

みんなの輪に入って楽しむ。難なくできてしまう子もたくさんいます。むしろ、どこへでも行ってしまい迷子にならないか心配だという話もよく聞きます。

でも、娘にとっては大変なこと。これまで一度もできなかったことが、この日、できるようになりました。

こうして少しずつ娘が離れていくのだと思うと寂しくもありますが、、、ディズニーランド、ありがとう。また行きたい。(疲れるけども…)


家事育児の効率化と諦め

1日24時間、1年は365日。母親だろうとなかろうと、仕事をしていようといまいと、与えられている時間は皆同じ。最近、圧倒的に時間が足りないと感じることが多く、日々のタイムスケジュールを振り返ってみました。

駈けぬける毎日

24時間の内訳を確認してみたところ、

  • 通勤: 往復3時間(子供の送迎含む)
  • 会社にいる時間: 8時間半
  • 朝の家事と子供の支度: 2時間
  • 夜の家事と子供の相手: 2時間半
  • 子供が寝てからの家事: 1時間

ここまでで合計17時間。

残りの7時間が自分の時間になるわけです(睡眠もここに含む)。5時間は寝たいので残りは2時間。まあ、通勤時間の一部は読書などに使えるので、そう思えば1日に3時間くらいは確保できますが。

それでもやはり少ない。

さらに土日のどちらかは買い物と平日のためのおかずストック作り、たまった家事をまとめてこなすというペースでした。少し前までは。

先日、土日をめいっぱい使って帰省しました。もちろん、買い物もしていなければストック作りも家事も何もやっていない。

そして迎えた月曜日。慣れていないのでそれはそれは辛かった。でも、火曜日、水曜日・・・、案外乗り切れた。

これをきっかけに、家事に追われる生活から脱してみることにしました。

家族との時間、自分の時間

土日を家事に費やしているうちは、なかなか家族とゆっくり遊べません。親にももっと孫と遊ばせてあげたいし、家族水入らずの時間も必要です。娘も間もなく5歳。色々と分かるお年頃。友達が色々なところに連れて行ってもらっていたら、自分だって行きたくなるもの。

今しかない子どもの幼児期をもっともっと堪能したいし、堪能させてあげたい。

そして自分の時間も然り。平日を仕事と家事、育児だけで終わらせるのではなく、自分のためにも時間を使いたいものです。本を読んだり考えごとをしたり、そして、個人開発のアプリにももっと時間を使いたい。

あれもしたい、これもしたい、やりたいことは尽きないですが、時間は有限です。意識的に効率化することにしました。

さらに、諦めも大事。適当だっていいじゃないか。週末におかずのストックが用意できなければ、その週は徹底的に手を抜いてみよう。

頑張りすぎないように意識してみよう。

というところに今はたどり着きました。

行き当たりばったりという効率化

週末は平日のために、平日の朝はその日の夜のために、基本的に先行して家事をこなすスタイルでした。朝、やり残しがあると夜にしわ寄せが行き、思い通りにならないからです。

先手先手を打つことで効率化しているつもりでした。

でも、上にも書いたように、これではあまり好きなことができない。週末のお出かけもセーブしがちになり、朝も早く起きたところでなかなか自分の時間は確保できません。

効率化できているのは家事だけであって、家族との時間や自分の時間確保のためには決して効率的ではない。

だから、思い切って行き当たりばったりの生活に変えてみました。

週末の家事を極力減らし、平日の食事はその日暮らしでなんとかつなぐ。余力があれば(娘が早く寝れば)、夜に少しだけ頑張る。

夜ごはんの支度にかかる時間は確実に増えました。そして、帰宅後の慌ただしさは半端ない。ストック活用の夜ごはんなら10分〜15分で支度は済みますが、ゼロから作るとなると30分くらいかかります。ときにはそれ以上の日も。。

食べる時間はあまり遅くできないので、もう時間で区切ることにしました。19時半を過ぎたらとにかく食事にする。最悪おかずを1品減らす。娘からはときどきクレームがつきますが(汁物がないとか・・)このさい気にしない。

毎日の小さい積み重ねですが、これだけで週末めいっぱい遊べるようになったのだから、考えようによってはストック作りをするよりも効率がいいと言えそうです。



娘はもうすぐ年中に進級します。

これからは、平日を乗り切るために週末を使うのではなくて、週末遊ぶために平日を乗り切りたい。そして平日にはできるだけ自分の時間も確保して、心にゆとりを持って娘と接したい。

そんな意気込みです。娘が年中さんらしく振る舞うのは今だけ。年中さんの娘と遊べるのも今だけ。今を大事にするために、時間のやりくりを意識してみようと思います。

何気ない一言で娘を傷つけたかもしれない話

最近、なかなか起きてこない娘。

3学期は(3学期も?)何かと行事が多く幼稚園児なりに疲れているだろうと思うし、何よりも、できるだけ睡眠をとって風邪をひかないようにしてほしい。そう思うと、ついついギリギリまで寝かせてしまうのですが・・・。

結果的に食事にも時間がかかりそのあとの着替えもまた例外なくペースが上がりません。

急かしたところでたいして効果がないのは分かっているのだけど、だからと言っておだてていてもことは始まらない。園バスに乗り遅れるということだけは避けたいし(幼稚園がそこそこ遠いので・・・)、最後は結局急かしてしまう。

そんな毎日を過ごしているわけですが、今日は色々と反省する場面がありました(私が)。

何気ない一言

特に意識して言ったわけではないのですが、ついつい口から出た一言。「いつもこうやって遅くなっちゃうから、もう少し早くごはんを切り上げようよ」

それに対して娘が大きく抗議。

「『いつも』ではない!」

ハッとしました。もちろん、きちんとできる日もある。むしろ、1年を通して見たらきちんとしている日の方が多いはず。

それなのに、ここ1週間ほど毎日グズグズが続いていたのもあり、何気なく出てきたのが「いつも遅くなる」でした。

大人にとっての『いつも』と子どもにとっての『いつも』

私にしてみたら、別に娘を否定しているわけではなく、単に優先順位をつけようよという話でした。遅刻しないということを一番に優先し、ごはん(というか、おかわりですが・・・)は時間が来たら切り上げる。その方がお互い気持ちよく出発できると思い、言った言葉でした。

大人にとっての『いつも』は、『ここ最近』のこともあれば、『半年くらい』のこともあり、もちろん、『100%』のこともあります。

でも、子どもにとっては違うのでしょうね、きっと。

純粋すぎて、言葉の意味をストレートに捉える子どもにとっては、

『いつも』=『100%』

なのだと思います。

言葉の持つ危うさ

『いつも』という言葉は、こうして大人と子どもの間に温度差を生むのでしょう。

娘はきっと、私に全否定された気持ちになったのだろうと感じました。

もちろんあとから謝ったけど、瞬間的に大きく娘を傷つけたかもしれないと思うと、心が痛みます。

まだまだ語彙もそれほど多くない幼稚園児。そして、驚くほどストレートに言葉のもつ意味を受け止めてしまう。『いつも』以外にもきっと、大人と子どもで感じ方が違う言葉はたくさんあるのではないかと思います。

これからは、もっと気をつけていかなくてはと思った朝でした。


さて、気を取り直して明日は遠足。

お弁当の準備は半分終了しました。続きは明日の朝。

明日は気持ちよく出発できるよう、色々気をつけよう。

保育園・幼稚園生活に思うこと

今年もまた認可園の結果が出る季節になりましたね。色々な思い、色々な準備や次への策が繰り広げられていることと思います。

我が家の娘は4月から年中組。これまで保育園に3年とこども園(と言ってもほとんど幼稚園)に10ヶ月ほど通っています。この季節は、転園があろうとなかろうと、自分と子供の生活について考え、振り返るいい機会になっています。

育児と家事と仕事の毎日はとにかく戦いです。でも、どうせなら楽しみたい。親も子も、仕方なしに預けて・預けられているという感覚ではなく、園生活を楽しむことが必要だと思っています。

これまでの約4年を振り返りつつ、園生活を送る上で私が意識していることを書いてみました。

園の「いいとこ探し」

我が子を預ける保育園ですから、隅々の細かいことまで気になります。これまで通っていた園も、今通っている園も、それぞれに良いところと悪いところあります。

でも、いざ預けると決めたら徹底的に「いいとこ探し」をしています。もちろん、気になるところもたくさんあります。完璧な保育園なんてなかなか存在しないもの。

だけど、我が子を預けるとき、親が不安に思っていたら確実に子どもに伝わります。親が、園に対して敵対心を抱いていたら、子どもはなぜそこに預けられるのか、きっと不安になるでしょう。だからまず、自分が園と信頼関係を築けるよう、とにかく園のことを好きになるように「いいとこ探し」を徹底します。

そして、いいところを娘にも伝えます。それが娘の心をどれだけ支えてくれているかは分かりませんが、最初は警戒心をむき出しにしていた娘も、今ではすっかり園を楽しんでいます。

「ごめんね」とは思わない

この4年間、色々なことがありました。泣き叫ぶ娘との戦いもありました。私もたくさん泣きました。

でも、できる限り娘の前で「ごめんね」とは思わないように気をつけてきました。

「預けてごめんね」
「お迎えが遅くてごめんね」

泣く子を見れば自然とそんな感情が込み上げてきますが、「ごめんね」が伝わった時点で「預けること」が「謝るべきこと」になってしまう。

からしたら「謝られるようなことをされている」と思ってしまう気がして、「ごめんね」を避けてきました。

それよりも、「楽しいところに行っているんだ」というポジティブな気持ちでいてほしいと思っています。実際に、園には楽しいことがたくさんあります。

だから、楽しむために行っていると思ってもらいたい。そのために、自分ができることは何だろうかといつも考えるようにしています。

積極的に関わる

仕事をしているから子どもを預けているわけで、園と積極的に関わるのは簡単ではありません。日中は仕事だし、休みの日はたまった家事を片付けるのに精一杯。

でも、今しかない園生活なので、とにかく自分も楽しみたいと思っています。子どもの話を聞くのはもちろんのこと、連絡帳やお知らせなど園のことを知る機会はいくつか用意されているはず。

正直なところ、1歳で入園(正確には0歳)したとき初めて目にした連絡帳(生活記録)は、「なんて面倒なんだ!」と思いました。でも、それも3年も続けると、最高の宝になりました。

もし自分が保育園に子どもを預けていなかったら、これだけ丁寧に毎日子どもの記録を残せただろうか。たぶん答えはノー。基本、面倒くさがりの私にとって、連絡帳の強制力はありがたかったです。

きっとこれから初めて連絡帳を書くお母さん・お父さんもいると思います。最初は面倒だと感じるでしょうし、そもそも単調な毎日でいったい何を書けばいいのだろうかと思うかもしれません。

だけど連絡帳に関しては、とにかく書き続けることに意味があったなと、今では思います。

年少になった今は、本当に簡易的な連絡帳だけになりました。少し寂しくもありますが、これまでの連絡帳の役割を、娘が果たしてくれているので楽しくもあります(ただ、ときどき意味不明で困りますが・・・)。

幼稚園は行事も多く係もありますが、これもまた、最初は苦難の道かと思いきや本気で関わってみると楽しい(有給との戦いであることは否めないけれど)。


昨年3月に3年通った保育園を卒園し、4月に子ども園に入園した娘。この1年は、これまでで一番激動だったように思います。

最初は泣きました。親も子も泣きました。保育園と違い子ども園は、幼稚園の時間が終わると帰宅する子どもがいます。それに気づいた娘に抗議をうけました。

でも今は、そんなことも懐かしい思い出。娘はすっかり園に慣れ、誰よりも長く園を楽しみ、もうすぐ年中になって下級生のお手伝いをする日を心待ちにしています。年中・年長のクラスやバスの席について思案し、毎日ワクワクしています。

そんな娘に力をもらいながら、今日もまた頑張ります。

帰ってきた娘(独り寝は小学生になってから?)

昨年のクリスマスを機にいきなり独り寝を始めた娘ですが、お正月休みも終わりしばらく経った頃、親のベッドに帰ってきました。おかえり、むすめ。そうだと思ったよ。

natsulife.hatenablog.com

独り寝を始めてから、落ち着かないのか毎晩トイレに起きるようになり(起こされるようになり)、最初はそのあとも自分の部屋に戻っていたのですが、ここで寝付くまで一緒にいなかったのが寂しかったよう。

それを訴えられ、まずはトイレのあと親のベッドに潜り込んでくるようになりました。ここからは早かった。若干体調を崩して鼻水が出始めた頃、「(具合が悪くなって)夜中に何かあったら困るから一応ママの隣にいるね」との理由で一緒に寝るようになりました。この理由付けには笑ってしまった。4歳にして自分の身を案じて「一応」の行動をとったようです。

数日後。「やっぱり自分のお部屋で寝るのは年少さんには早すぎるから、小学校2年生からにする」(1年生ではない!?)だそうです。

中途半端なトライは自立を遅らせたのかもしれません。。。まあ、まだまだ甘え盛りなのでいいでしょう。特に冬は一緒に寝た方が暖かいし。

幼稚園ではクラスを引っ張っていく存在だという娘(先生談)、家ではとことん甘えっ子でワガママです。みんなそんなもんだよね。

キッチンワーク改善のために排除した3つのアイテム

3食昼寝付きなんていう言葉も世の中にはありますが、主婦の、そして母としての日々はそんな発想からはかけ離れた、時として3食に追われてしまうことさえある毎日です。

子どもを持って最も大変になった家事は食事の支度と片付けかもしれません。食べる人がいるので作らなくてはいけない。まあ、完璧にはほど遠い手抜き料理ではありますが、それでもやはり何かを食べさせなくてはならないのです。そして、作れば片付けが待っている。休みの日なんて、朝食を食べながら昼食何にしようかしらと悩む。そしてランチどきには夕飯の支度は・・・と思案する。そんな毎日、毎週です。

日々の生活の中で大きな比重を占めるキッチンワークを見直すと、時間のなさとの戦いは少しばかり楽になります。

見直すと言っても本当に小さな小さな工夫。工夫と言うか、排除。我が家で、キッチンから排除してみたら、思いの外キッチンワークが快適になった3つのアイテムを紹介します。

洗いかご

我が家の食器洗いは基本的に食洗機です。それでも、食洗機未対応の食器や、その場でサッと洗ってしまいたいものもあるので、手洗いはなくなりません。

以前は一般的な洗いかごを流しの脇に置いていました。流しに隣接して置くことで、水をためることなくそのまま排出してくれるタイプのものを使っていましたが、これでもやはり水アカなどの汚れは避けられません。水が流れるところが白くなったり赤くなったりぬるりとしたり。定期的に洗いかご自体の洗浄をしないといけないのが億劫でした。

そこで思い切って、洗いかごを処分。

きっかけは、娘が一緒に料理をするようになり、キッチンのスペースを確保するためでしたが、なくしてみたらとても快適。

代わりに置いたのはタオルです。白い普通のタオル。これを4つ折りくらいにして敷いておき、その上に洗った食器を並べていきます。タオルが水分を含んできたらドンドン取り替えます。そして洗濯は、もちろん洗濯乾燥機。

水アカが溜まりがちになる洗いかごよりも、毎日洗濯できるタオルの方がよっぽど気持ちがいいものです。

キッチンの作業スペース確保も簡単ですし、キッチンの作業台に水滴が垂れることもないので、常にきれいな状態を保つことができます。

ちなみに使っているタオルはこちら。安くて丈夫で使い勝手も抜群です。

三角コーナー

続いて、三角コーナーがない生活。

シンクに置くあれです。生ゴミとかを捨てるためのアレ。カビの温床のアレ(は、我が家の場合ですが・・・)。

我が家では、もう長い間三角コーナーを使っていません。代替品も使っていません。何もなし。シンクは全体が使えるように広さを保っています。生ゴミは、そのまま排水溝のカゴにためてしまっています。

洗い物の最後にこの排水溝のカゴからもゴミを取り除き、お掃除終了。ゴミはできるだけひとまとめにした方が処理が楽ですし、できるだけ見えないところに隠した方が見た目も美しいです。そう考えたら、三角コーナーを置く理由がもはや見つからないのです。

普段から使っていると、「なくす」のは何となく抵抗があるかもしれないですが、思い切って撤去してみると、シンクもすっきりしますし、何よりも掃除が楽になります。

台ふきん

最後は台ふきん。これもまた、知らぬ間に見えないカビや雑菌が溜まりやすい、神経を使うアイテムですね。

とは言え、完全になくすわけにはいかないので、この場合は代替品があります。アルコール入りのウェットティッシュです。

調理台などサッと拭けて便利です。何よりいいのが、カルキがきれいに落ちること。蛇口の周りなど、すぐに白くなってきますが、アルコール入りのウェットティッシュで拭くだけでビックリするほどきれいになります。世の中にたくさん売られている洗剤は何なんだろうと思うくらい、たった1枚のウェットティッシュでピカピカになるのです。

シンク周りはこれでいつもピカピカ。コンロの掃除もこれ1枚です。アルコールは油汚れもきれいに落としてくれるのです。あっという間にきれいになります。

1回のキッチン利用でだいたい1〜2枚使うことを考えると、コストパフォーマンスは決していいとは言えないかもしれません。

でも、ふきんを清潔に保つために神経使ったり、色々な場所を掃除するために複数の洗剤を使い分けるより、もしかしたらトータルコストは安いかもしれません。


1日の利用回数が多いキッチンだからこそ、小さな工夫の積み重ねで少しずつストレスが解消できるものです。