イヤイヤ期に対する禁断の一言
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またも使ってしまった禁断の技。
イヤイヤ期の娘。普段はそれほどでもないのですが、火がつくとすごい。絶対にイヤ。あれもイヤ、これもイヤ、全部イヤ。
イライラから発した一言
昨日の朝のことです。
登園前の忙しい中、着替えの時間になりました。登園に即した服を私が選び「今日はこれか、これか、これにしようね」Tシャツを3枚並べて娘に言うも、イヤだ、違うの連続。
三連休明けということもあり、保育園モードになかなか切り替わらなかったのも原因のひとつかもしれませんが、とにかくいつまでも服が決まりません。
もうこうなると、何が着たいとかそういう次元の話ではなくなます。私がこれならいいよというものは絶対に着ようとしません。
そして、あまりにもエスカレートしてきたため、ついついうっかり禁断の一言を言ってしまいました。
「そんなにイヤならもういいよ、ママ先行くね」
これで立場は一気に逆転。
娘はこの一言が大嫌いです。慌てて私が出した服を着て(しかも、全部着ないといけないと思ったのか気づいたときには2枚目を重ねて着ているところでした)、靴下を履き、靴を履き、これまでにないスピードで準備を終え、玄関のドアの前で待っていました。
それを見て私は大反省。
あまりにも効果絶大で、これさえ言えば抵抗しなくなることはよく分かっているのですが、やはり良くないですよね。
欲求が増えてきているからこその反抗なのにも関わらず、それを力でねじ伏せた形になってしまい猛反省しました。
どう対処すべきだったか
あのときどうするべきだったのか、色々と考えてみました。
- 娘が選んだ服をひとまず着させてあげる
- そのあとで、鏡を見ながらなぜこの服が保育園(外遊び)に向いていないかを説明する
- それに対して、私が選んだ服がなぜ保育園に向いているかを説明する
- 着替えを促す
このくらいのステップは必要だったように思います。
これでも納得しなければ、そこはもうある程度の強行突破も必要になりますが、昨日のやり方では娘が納得できないのも仕方ないなと、あとから胸が痛くなりました。
そもそも、時間に余裕がないのも問題です。こういう事態に備えて普段から時間に余裕を持つか、もしくはこういう事態が起きたら腹をくくるか、そのどちらかが必要だということですね。
禁断の技がよくないと思う理由
「もう知らない」「先行くよ」これらの言葉を聞くと、我が子は本当に素直にやるべきことをこなします。しかしそれは、自主的にやっているのではなく、とにかくおいていかれたくない一心で必死になっているだけでしょう。
このような癖はつけない方がいいことは想像に難くありません。
何事も1人でやる必要がでてきたとき、「おいていかれる不安」がないと自ら動けないようでは困ります。だからといって、いずれは親離れをするわけですから、常に「おいていかれる不安」とともに成長することもできません。
先日読んだ佐々木氏の育児書「ママの心がふわりと軽くなる子育てサプリ」にも同じような一説がありました。
できるようになるまで何度も繰り返し伝え、穏やかに「待つ」。それが、しつけです。
自立性を養うためには、じっくり考えて、試して、失敗して、また考える時間が必要だという内容です。
そして、こんな風に書かれています。
親にあれこれ言われて動くうちは、自分で自分をコントロールすることなどできません。要領のいい子であれば、親の要求を予測して親に叱られないように動くでしょう。 〜中略〜 どちらであっても、自立性は育っていきません。いい子に見えるかどうかの違いがあるだけで、自分で考え、決める力は身につかないのです。
さらにはこうあります。
子どもが大きくなってから、「私は子どものしつけに失敗した」と言う人がいますね。その多くは、子どもを待てなかった人です。子どもをガミガミ叱ることは簡単なのです。逆に、じっと待つことは、とても難しいのです。
まさに、昨日の自分のことを言われている気がしてなりません。先にこの本を読んでいたこともあって、昨日の「やってしまった感」はかなりのものでした。完璧に身支度を整え玄関で待つ娘の姿を見て、まさに「親の要求を予測して動いた」だけだと分かりました。
昨日の反省をいかし、今日はいつもより穏やかな朝。一緒に相談しながらトラブルなく服も決まり、無事に登園できました。いつかまた、ついつい娘を追い立ててしまうことはあるかもしれません。それでも、禁断の一言だけはもう使わずにいきたいものです。
ちなみに、「ママの心がふわりと軽くなる子育てサプリ」は簡単に読めるわりに内容が濃く、お勧めできる育児書です。以下で書評を書いていますので参考にしてみてください。