結果よりも過程
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昨日は2015年仕事はじめ。娘も10日ぶりに登園しました。
想像に難くはないと思いますが、10日ぶりの登園はペースが乱れて大変です。
冬休み中のんびりと過ごしていたこともあり、まず起きない(これはいつものことですが)。続いて朝ご飯がなかなか終わらない。支度にも予想以上の時間がかかりこちらは少々イライラとしていました。
結果、普段よりも10分遅い出発。
「本当はもっと早く行かないといけないんだよ。」
出がけにそう言うと「もう言わないで!」と言ってきた娘。ちゃんと聞いてほしくて、できるだけしつこくならないようにとは思いつつ、保育園までの道のりで何度か同じようなことを繰り返しました。
「今日は遅くなっちゃったね。でも今日はもういいよ、明日はもっと頑張ろうね。それでいいよ。」
よかれと思って言ったつもりでしたが、それに対しての娘の一言。
「今日だって頑張ったよ。」
はっとしました。確かに、娘だって10日ぶりの登園、しかも、大人と違って日付や時間の感覚に乏しい2歳児にとって、久しぶりの登園準備は想像以上に大変だったのかもしれません。これ以上頑張れないほどに頑張っていたのかもしれません。
気をつけよう、気をつけようと思っていてもついついやってしまう間違い。結果ばかりに注目してしまい、行動の過程をよく見ていませんでした。
育児書にもよく書いてありますね。
『失敗してもいいから、頑張ったという事実を褒めてあげましょう。』
頭ではよく分かっているのです。それが、朝の登園など自分への不利益に繋がることとなると、ついつい自分中心になってしまいます。反省すると共に、もう一つの事実に気がつきました。
危険なことや悪いことを注意するときは、例外なく「結果」ではなく「過程」に着目しています。
注意しても聞く耳を持たず、そのまま続行することは少なくありません。例えば、不安定な角度から椅子や机によじ登ろうとしていたり、ドアを勢いよく閉めたり。
娘は、続行しても何も起きなければ、自信満々に「ほら、大丈夫だったでしょ!」と言ってきます。それに対する大人の対応はこんな感じでしょうか。
「それはたまたまだよ。同じことを繰り返したらそのうち怪我するよ。」
明らかに、行動そのものに注目していて「たまたま大丈夫だった」という結果は完全に無視しています。
それに引き替え、昨日のような場面では「たまたま遅くなってしまった」という結果ばかりが目につき、本当は頑張っていたのかもしれないその姿を一生懸命見ようとはしていませんでした(そもそも自分も精一杯でした)。
これでは不公平ですね。子どもも納得できなくて当たり前です。
ということで、2015年の目標は『どういう状況においても、結果だけではなくてそこに至るまでの行動をよく見てあげる』です。
言うは易く行うは難し
また同じ間違いを繰り返すかもしれませんが、少しずつでも視野を広げていきたいものです。
まあ、そもそも昨日のような話では、まず自分が早起きして朝のバタバタを少しでも軽減すべきなのはよく分かっているのですが、、、これまた 行うは難し です。