子どもが発する『見て』の真意
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少し前に、次の記事が多くの方にシェアされ、私の目にも何度もとまりました。
http://mihosaijo.com/?p=426
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最初と最後から一部引用します。
とにかく、子どもたちは、自分のことを見て構って、できれば笑いかけたり褒めたりしてほしいと願っています。
それでも悪いことをしてしまうとき、子どもたちは『SOS』を出しているのです。僕を、私を構ってよ!、伝えたいことがあるんだよ!、というSOSです。
子どもたちは色々な形で、自分のことを見て、そして構って欲しいというメッセージを発しており、それでも構ってもらえないと、構ってほしさにだんだん悪いことをし始めるという内容です。
確かに、自分の育児でも身に覚えがあります。
でも、この記事を読んでひとつだけ疑問に思ったことがあります。それが、冒頭で引用した部分。子どもたちは、自分のことを「見て」「構って」できれば「笑いかけたり」「褒めたり」して欲しいと願っているという箇所です。
私も以前はそう思っていました。子どもだから、構ってくれたり褒められたりするのが一番だと思っていました。スキンシップや会話のキャッチボールが、我が子が求める一番のものだと思っていました。
ところが、そうでもないのかも、と思ったことがあります。
娘は今2歳9ヶ月。色々なことに興味を持ち、挑戦し、成功して歓喜することもあれば、失敗して落胆(発狂?)することもあります。言葉も達者になってきて、思ったことや感じたことを上手に表現するようになってきました。
そんなある日のこと。娘が何かで一生懸命遊んでいました。自分で考え出した遊びです。あまり詳しくは記憶していませんが、おそらくその辺にあった紙とかハンカチなどを折りたたんだりしていたように思います。
そんなとき、いつものあの言葉をかけてきました。
『ママ、ママ、見て見て!見てー!』
私はそれまでやっていた家事の手を止めて娘の元へ。
『なになに?何作ったの?ママにもやらせて!』
そこで放たれた娘の一言。
『ううん、見ててって言ったでしょ。』
なるほど、娘は見て欲しかったのです。褒めてほしいわけでも、一緒に遊んで欲しいわけでもなく、とにかく、自分が一生懸命にやっている何かを『見て』欲しかったようです。
そのあとは、口を出すと怒られるので黙ってひたすら『見て』いました。
すると娘は満足して、またいつも通り好き勝手に遊びだしたのです。
同じようなことを、これまでにも何度か経験しています。必死になってジャンパーのチャックを閉めようとしているとき、一生懸命ハンカチをたたんでいるとき、とにかく娘は「見ていて」と言います。そして、「教えなくていいから」とも言われます(これには最近ちょっと困っていますが)。
いつもではありませんが、手伝ったり、褒めたり、アドバイスをしたりするよりも、ひたすら待ってただ見ているだけの方が満足してくれることがあります。
反抗期の難しいお年頃、背伸びしたい気分のときもあるでしょうし、ときには距離感も大事なのかもしれません(少し寂しいですね・・)。
最後に、念のため書き添えておくと、引用した記事の内容には共感できます。構ってほしさに始まった悪いことの連鎖を、いかにして断ち切るかなどの話はとても参考になりました。
ただひとつだけ、『見て』という欲求は、それ以上でもそれ以下でもなく、あくまでも『見て』ということもあるのではないかなと思った次第です。