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【書評】お母さんの「敏感期」―モンテッソーリ教育は子を育てる、親を育てる


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たまたま手に取った一冊の育児書、なかなか面白かったのでご紹介。

サブタイトルには『モンテッソーリ教育』とありますが、モンテッソーリ教育そのものを説明した本というより、モンテッソーリのベースとなった考え方が書かれた本だと思うといいかもしれません。

私自身、モンテッソーリ教育にこだわりが強いわけではありませんが、この5年間の育児で悩んだことが、一気に解明された気分にもなりました。そういう意味でも参考になる点が多かったです。

反抗期ではなく『敏感期』

成長の過程で幼児は『敏感期』と呼ばれる時期を通過するようです。自分を取り巻く環境から必要なものを吸収し、『自分』を創り上げていく時期です。

この時期に学び取るべきものを本能で知り、興味関心をいだいて吸収していく。でも、大人から見たら意味不明な言動も多く、無限に湧き出る子どものエネルギーを前に、途方に暮れてしまうこともあるものです。私自身、何度となく苛立ちをあらわにしてしまいました。

秩序の敏感期

魔の3歳児とはよく言ったものです。この時期は本当に、癇癪を起こして泣き叫んでいることが多かったように思います。

これが反抗期かと思ってなんとかやり過ごしてはいたものの、精神的には相当疲労します。

でも実は、これには理由があったのかもしれません。

モンテッソーリによると、子どもが不機嫌になる理由は、

敏感期にある子どもが何かに強い興味や関心をいだいたにもかかわらず 、大人の鈍感さによってその興味が断ち切られたときにあらわれるのだ

なんだとか。確かにそう言われればそうなのですが、ここで問題は、『何かに強い興味や関心をいだいた』理由が分からないことです。大人からしてみたらなぜこんなことを、、、と思う数々の謎めいた行動。そこに理由があったのだと知っていれば、育児はもっとスムーズだったかもしれません。

幼児のこだわりを説明付けてくれるのが【秩序の敏感期】。

2、3歳頃をピークに、順番や場所、所有物そして習慣などにやたらとこだわるようになります。この時期に、モノとモノ、コトとコトなどの相互関係が理解できるようになるようです。

娘はかなりの頑固者で、いつもと違うことが大嫌いでした。

2歳半を過ぎた頃、保育園までの通園途中で靴の中に入った石を出したことがありました。その日を境に、毎日同じ場所で同じベンチに座り、必ず石を出さないと気がすまなくなりました。

もちろん、石は毎日は入っていません。ほとんどの日が、何も入っていない靴を一度脱がせて逆さにし、中を綺麗にするそぶりを見せて再び履かせるだけ。

時間がなくて強引にこの儀式を端折ったら、それはそれは泣くは怒るはで大変でした。以降、素直に娘の思いに従ってきたわけですが(いつしか自然となくなっていました)、これも、秩序の敏感期だからこその行動だったのかなと思います。

こんなことの繰り返しも、子どもの成長には必要なプロセスなのですね。

感覚の敏感期

本書では、敏感期を3つに分けて解説されています。1つ目はすでに書いた秩序の敏感期。残り2つは感覚の敏感期と運動の敏感期です。

3歳から6歳くらいにかけて、五感が一気に発達します。この時期こそが【感覚の敏感期】です。興味津々のこの時期は、何を見ても、何を聞いてもあっという間に心奪われていきます。それは単に興味の問題だけかと思っていましたが、もしかしたらこれもまた、敏感期ならではの行動なのかもしれません。

味覚もこの時期に大きく発達するのだとか。「おふくろの味」を覚えてもらうためにも、この時期はできるだけ手作りの食事を意識したいとも書かれています。もちろん、手作りに超したことはないですし、やれる範囲でできる限りのことはしているつもりです。

でも、ファミレスや市販のお菓子、ジャンクフードなどもまた、成長課程でなくてはならないようにも感じます。友達との会話に出てくるファミレスの話題、遠足でのお菓子交換、人と人との繋がりが深くなるこの時期だからこそ、味覚だけにこだわるのではなくバランスよくいきたいなと思うのです。

運動の敏感期

最後は【運動の敏感期】です。

どういう時期かを説明するとても分かりやすい説明があったので、そのまま引用します。

この時期は 、一生に一回だけ人間が全力をだし切ることをけっしておしまないというめずらしいときなのです 。この時期を過ぎると 、人間は常に力を倹約する方に働き 、なるべく 「ラクをしたい 」と願い 、動かないですむような工夫をこらす時期に入ります 。

娘も例外ではありません。スポーツは得意な方ではないように見えますが、それでも体を動かすことはとにかく好き。

ベビーカーをやめた2歳半以降、お出かけでも顕著です。エレベーター、エスカレーターよりとにかく階段。

今でこそスイスイ移動できますが、2〜3歳のころはなかなか苦労しました。電車の乗り換えでも人の波が去るのを待ってからいざ階段に挑み(挑ませ)、最後の方は次の電車が入ってくるのといい勝負になるという。。。

育児は忍耐だなぁとよく思っていました。

こんな行動も、この時期独特のものだと思えば少しは心も軽くなるもの。「ずっと続くのかもしれない」という気持ちからの解放で、育児はずいぶん楽になる気がしています。

敏感期に教えたいこと

さて、こだわりの強い子どもの敏感期。ストレスに感じることも少なくはありませんが、だからこそ、ただただ苦しみながら過ごすのではなく、子どものために行動してあげたいものです。

多くのことを吸収しようとしている子どもに対して、親はどうやって「教えて」いけばいいのでしょうか。

幼児期に「学ぶ力」を身につけさせたいのであれば、「どう動けばいいか」を自分で学び取りたい「運動の敏感期」に、子どもが自分で「動き方」をよく見て、自分で取り組めるような機会をたくさん提供することです。

つまり、やり方を教えるのではなくて、やり方を見せる。あとは待つ(結局忍耐だ!)。

確かに我が子も、公園で初めての遊具を見ると、まずはひたすら他の子の様子を観察しています。また、保育園で先生がエプロンの紐をチョウチョ結びするところを毎日しつこく観察し(先生曰く、いつも背中側に回り込んで張り付いていたよう)、1人で勝手に習得してきました。

説明するよりまずは見せる。遠回りなようで案外近道なのかもしれません。

「見て」覚えたことの定着率は確かに高い気がします。親として、待つことはかなりの忍耐ではありますが、これで将来自分から学べる子になってくれるかもしれないと思うと、まあ待ってみるかという気持ちにもなるものです。

親の敏感期

初めて親になったとき、じつは親の方も「敏感期」に近い状態なのだとか。我が子のために「母である」姿を追求したくなる時期。それこそが親としての敏感期なのです。

敏感期にある子どもの興味や成長に敏感な感受性で接していくことで、母親として生きる長い人生の基礎ができるとのこと。確かに、今の時期の忍耐は(それはそれでかなりしんどいですが)きっといつか役に立つだろうと思うことはよくあります。

今は幼児相手に四苦八苦しているわけですが、育児においてはまだまだ序盤。これが小学生になるとより友人関係が複雑化し、中学生になり思春期を迎え、高校生では成人に向けてのラストスパートをきらなくてはなりません。子どもの成長段階で、いつも粘り強く見守ってあげられるよう、今は母親としての基礎を磨く時期なのかもしれないなと思いました。

これからはもっと子どもの感受性を意識し、合理的な考えは捨てて「待つ」ことに対して寛容になりたいものです。


感受性に着目した本書は、色々なことに気づかせてくれました。また、不可思議な/だった子どもの行動に納得感が持てた一冊でした。


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