2019年はチャレンジの年
気づけば娘の年中終了式の記事を最後に、更新が滞っていました。
そんな娘も、あと2ヶ月で幼稚園を卒園します。2019年は、私たち家族にとって大事な一年になりそう。
あっという間に1月も折り返し地点ですが、2019年の抱負を。
2019年のテーマはチャレンジ。
挑戦するだけではなくて、「挑戦し続ける」ためのベースを築く一年にしたいと思っています。
家族
4月に娘は小学生になります。いよいよ義務教育のスタート。娘は教育を受ける権利を得て、親である私は娘に教育を受けさせる義務を負う。心身ともに娘をサポートしていくためにも、常に娘のお手本でありたい。
娘には、基礎学力はもちろんのこと、探究心や自ら学ぶ力を身につけてほしい。この2つがあれば大抵のことは自力で乗り越えられると思っています。
そのためにも、親である私が常にチャレンジし、失敗も成功も経験として身につけていく姿を見せていきたいものです。
家族では、新たな遊びにチャレンジしたい。まあこればかりは娘次第ではありますが、今年はスキーとサイクリング、そしてアスレチックに挑戦したい(させたい)と思っています。
とても怖がでインドア派の娘がどこまでやる気を出すかは分からないけれど、家族での趣味が増えることの楽しさを肌で感じてもらいたい。
自分
個人開発を細く長く続けてきていますが、今年は次の一歩を踏み出します。新たなプラットフォームへのチャレンジ。
どうやって時間を捻出するかが悩ましいところではありますが、時間なんてたぶん、いつまで経ってもないものはない。
1日が24時間であることは生涯変わらぬ事実で、それをどう配分していくかは自分次第だと思っています。本業と家族と自分の時間をどう分け合うか。まずはそこから思案していきます。
仕事
最後は仕事。年末から役割も責任範囲も変わり、背伸びしても足りないくらい。でも、この歳になっていろんなチャンスが巡ってくることに感謝し、ありがたくいただきました。
自分が思い描いていたキャリアパスと多少違ったとしても、経験できることはしておいた方が最終的には豊かな人生が送れると考えています。思い起こせばこれまでの人生、思い通りのことばかりではなかった。
まさか、急に会社をやめてドイツに引っ越すなんて思ってもみなかった。でも、その引っ越しがあったから、iOSの開発にチャレンジしたり本を書いたりすることができた。そして、そこから今の自分につながっていることは間違いないのです。
同じようにまた、今のチャンスは私のキャリアパスに変化をもたらすかもしれない。この機会に経験の引き出しをまた増やしていきたいものです。
この三連休、またスキーに行ってきました。娘にとって生涯で通算4度目、今シーズンは2度目のスキー場。
本当に臆病で慎重派の娘は、これまでソリも一人で乗れなかったのですが、今回大きな第一歩を。ソリを一人で楽しみ、そしてなんと、スキー板を履いてくれました。まだ、斜面には出ていないけど、興味と向上心さえあれば、あとはなんとかなるでしょう。今シーズン、制覇できるといいな。
私はというと、娘と一緒に平坦なところを横移動してばかりいたわけですが、なんとも楽しい時間となりました。
参加できなかった年中終了式
3月19日は年中の終了式でした。あっという間に過ぎゆく一年。
さて、そんな終了式を目前に、3日前に発熱する私。そう、娘ではなくて私・・・・。
親の私の方がインフルエンザにかかってしまいました。感染を防止するため、娘は夫とともに実家に避難させました。そもそも、家族がインフルエンザにかかったら園児も登園を控えるルールなので、残念ながら終了式もお休みすることに。
年中の終わりを示す終了式。気持ちの切り替えのためにも、きちんと参加させてあげたかったな。毎日毎日終了式の練習でヘトヘトに疲れて帰ってきた最後の1週間。頑張って練習していたのに、朗読も歌も発表の場がなくなってしまいました。ごめんね、娘。
そんな娘ですが、この一年で大きく大きく成長しました。
できることが増えたのはもちろんのこと、何よりも心が成長したと感じます。いろんなことを娘なりに理解して、娘なりに考えて行動しています。
振り返ると、年少の時よりも「早く帰りたい」と言うことが増えていることに気づきました。
娘が通うこども園は、幼稚園の時間(午後2時頃まで)は完全に幼稚園生活、その後園舎を移して保育の時間が夜まで続きます。この保育時間を嫌がり、幼稚園が終わったらそのままお迎えに来てということが増えました。
周りに帰宅する友達もいるので無理もないのかもしれません。
皆が同じ環境の保育園では感じない、こども園ならではの悩みですね。
とは言っても、いずれ小学校で違いは知るのだから、今のうちから色々な環境があるということを理解できたのは、娘にとっては良かったと思っています。
さて、いよいよ4月からは年長さん。最終学年です。
行事も一つ一つに力が入りそう。
年中では、各行事のたびに、年少さんを見れば「去年はこんなだったなー」と懐かしくなり、年長さんを見れば「来年はこんな風になれるのかな」と気持ちが高ぶりました。
その年長さんにいよいよなるんだと思うと、親の方が緊張してきます。
運動会のなわとびリレーや音楽会のピアニカなど、「やればできる」という気持ちを身につけるために、難易度の高いことを一年がかりで先生方が指導してくださいます。
そう、もう練習は始まっているのです。先生方の根気強さにはいつも頭が上がりません。
年長の行事ひとつひとつを大事にするためにも、今回のようにインフルエンザになんてかかってはいられない・・・・。もっと気を引き締めないと。
もちろん、行事だけでなく普段の1日1日を大事に過ごしたい。仕事との両立は簡単ではないけれど、きっと道はある。
私が「幼稚園児の母」であるのももうこれが最後の一年です。悔いのないよう精一杯、子供と園のために力を尽くしたいものです。
取り留めないですが、終了式を欠席してしまったので、気持ちの区切りをつけるために書きました。
ちなみに、娘はGWに旅行のため2日休みましたが、病欠は0日。本当によく頑張りました。健康が一番の親孝行だね、ありがとう、娘。
プリキュア vs ディズニー
娘、5歳、年中さん。プリキュアが大好きな女の子。
プリキュアって言わずと知れたこれ↓
アニメといえば、東映アニメーション! TOEI ANIMATION より
最初は抵抗ありました。大人の目から見ると(私の目から見ると)、なんとなく色彩的にもごちゃついた感じのこのキャラクターたち。これを身につける日が来るのかと思うと、なぜかディズニーキャラクターとは違った抵抗感。
エルサ(アナと雪の女王)ならよくてプリキュアはイヤな理由、それはすぐには説明できないけど、でも、なぜだか心に壁を作っていた気がします。
プリキュア入門
親がなんと思おうと、幼稚園で覚えてきてあっという間にプリキュアに夢中に。
日曜の朝8時半はテレビに張り付くようになりました。今では、世の中には「録画」という機能があることにも気がつき(5歳になってから、、遅い!)、日曜の朝に限らずテレビに張り付いています。
魔法のステッキ?みたいなものを折り紙で自作し、振り回して遊んでいました。たぶん家に50本近くある・・・・・(これ、どうしよう)
プリキュアごっこも始まりました。好きなものは好きなんですね、このあたりから私の抵抗感も徐々になくなってきました。娘が楽しいならそれが一番。
そして、夏休みには池袋で開催されていたイベントにも行ってみました。
目の前で踊るキャラクターたち、それを見て大興奮で踊る我が娘。
イベント自体はとにかく人が多くて疲れましたが、娘が楽しむ姿が見られてよかったです(いやでも、本当に疲れた・・・)。
どこを向いてもプリキュアだらけ
そうこうしているうちに、娘のプリキュア熱はどんどん高まります。幼稚園年中というと、理解力もメキメキ上達するお年頃。テレビのストーリーに入り込み涙を流すことも。
そんな娘の姿を見て、涙を流すお母さん、そう私。
まあそんな感じで、親子ともにプリキュアのある(いる?)毎日を過ごすようになりました。
テレビ番組とCM、そして幼児向け雑誌の「おともだち」や「たのしい幼稚園」、どこを見ても何を見てもプリキュアたち。そして、高額なグッズたち。。。
ディズニーよりもとにかく商売っ気が強い、そんな気がしてなりません。おもちゃも多種多様で、シリーズで集めたくなる仕様。でも、数ヶ月もすると次のアイテムが出てくるので、、、想像しただけでもエンドレス感満載です。ちなみに、我が子はここにはまだ踏み込んでいません。
そんなプリキュアは、イベントでもすごい。
夏休みに出向いた池袋のイベントでは、ショーのあとプリキュアたちと握手ができました。
できましたが、そこに参加できるのは、特定のグッズを購入した人だけ。何か買うと握手会のチケットがもらえる仕組みです。
先着順で誰でもイベントに参加できるディズニーランドとはひと味もふた味も違いますね。。
商売上手に思うこと
そんなことを日々思っていたなか、先日再びイベントへ。今度は劇場でのイベントです。ストーリーもきちんとあり、演劇に近いかな。
ここで私のプリキュアへの理解が一気に深まりました。
舞台の上で繰り広げられるストーリー。流れは普段のテレビ番組と同様です。途中で悪者が出てきてプリキュアたちが力を合わせて闘うというもの。
そのプリキュアたちを、観客である子供たちが精一杯応援します。
ステージ後はプリキュアたちとハイタッチ。これに参加するためには前回の握手会と同じく、特定のグッズを購入する必要があります。1500円のキラキラ☆ホイップライト。
またこの仕組みか!と思ったけれど、、、このときはこれが本当によくできていた。
開演すると、客席にいる大半の子供がライトを持っていることに気づきました。会場全体がキラキラとライトの色に染まります。
ところが、その存在に気づいていなかった私はもちろん買ってなんていません。それでも、娘は大きな声で応援していました。
そして迎えた20分の途中休憩。休憩のあとはクライマックス。大ボスと闘う時間がやってきます。娘に聞くともちろんライトが欲しいと言うので購入することに。
ステージ後半、ライトを手にした娘は驚くほど会場に溶け込みました。プリキュアと一体になり心の底から楽しむことができました。
なるほど、これはすごい。1500円でここまでの一体感が演出できるのは子供の心をとらえているからこそなのかもしれない。
まあ確かに、商売っ気は否めません。でも、子供たちをこんなにまで夢中にしてくれるのなら、それもありかなと思ってしまいました。
プリキュア vsディズニー
大人から見ると、キャラクターの愛らしさはやはりディズニーの方が上。夢の国ディズニーランドには、プリキュアほどの商売根性も見受けられないし、全般的にディズニーの方が好印象でした。
でも、子供の心にはどう映ってるのだろう。ふと、そんなことを考えてしまいました。
憧れもエルサからキュアパルフェ(プリキュアのキャラクター)に変わり、話題もプリキュア一色。
魔法が使えたり、架空の敵と闘ったり、ファンタジーであることに変わりはありませんが、プリキュアの方が何となく娘との距離が近い。普段は普通の女の子だからかもしれませんね。
いずれにせよ、娘が夢中になっていることには変わらず、ここまでの笑顔を引き出してくれるのにはそれなりの理由があるのだと思います。
そう思ったら、プリキュアへの抵抗もなくなり、心から親子で楽しめるようになりました。
さて、10月末からは映画が始まります。ここでも何かグッズを入手して応援しながら鑑賞するスタイルのよう。またこの手の商売か!などとは思わず、今度は素直に娘を夢の世界に引き入れてあげようと思います。
浴衣への憧れ〜年中の夕涼み会にて
気づけばずいぶん長いこと更新していませんでしたが、私も娘も家族もみな元気です。
年中の夏休みもあっという間に終わりました。昨日から2学期。2学期は行事も多く大変だけど充実した楽しい季節です。
さて、今日は夏休み中に感じた娘の成長のひとコマを。
2回目の夕涼み会
8月、幼稚園は夏休みですが(預かり保育は毎日ありますがクラス活動は夏休み)、途中で3日ほどの登園日があり、そのうち1日は夕涼み会が開催されます。
昨年、年少の夕涼み会は甚平で参加しました。女の子でも半分、もしかしたらそれ以上に甚平の子がいたのではという印象。やはり浴衣よりも扱いやすいですし、走り回る子供にはもってこい。
そして迎えた年中の夏休み。事前に去年の甚平を着させてみたらまだ着れる。サイズは問題なし。
浴衣を作るか買うかしようと思っていたけど、時間もないし本人に聞いたら甚平でいいというのでこれで参加することに。
そして迎えた当日。
娘の場合、夕方まで預かり保育を受け、夕方に親が引き取りに行ったところで着替えさせてから夕涼み会に参加します。
仕事の都合などもあり、最初はパパに行ってもらいました(私は途中、、というかほぼ終盤で合流)。
甚平 vs 浴衣
お迎えに行き、部屋で着替える園児たち。
着替えた後の写真が夫から送られて気ました。
周りの女の子はほとんど浴衣。まあ、想像はしていたけど、、、そうだよね、という感じ。
「甚平のこと何か気にしてる?」とメッセージを送ると、「いや特に。普通に楽しんでるよ。」との返答。
でも、母親の目から見ると、明らかに周りの子に比べて華やかさが、、、ない。
髪の毛をアップにしている子、大きな花のゴムで飾っている子(幼稚園の夕涼み会でそこまでやるの?というのはさておき)、みんな5歳児なりにいつもより少しだけおしゃれしています。
そんな中、娘はというと、髪の毛も朝の三つ編みがほどけ気味の状態。こればかりは夫に頼むのも酷だし、見て見ぬ振りをしておきました。
途中で合流し、娘の様子を見ると、楽しそうに参加していたのでとりあえずは一安心。
浴衣への憧れ
楽しかったねーと言って終わった夕涼み会。安心したのもつかの間、その帰り道のこと。
細い道で3列にはなれず、手を繋いだ私と娘から少し離れたところを歩く夫。
娘が私だけにこっそり言いました。
「ママ、わたし、甚平きらい。来年は浴衣がいいの、お花の浴衣ね。あと、髪の毛にお花のゴムつけたいの。」
そうか、やっぱりそうだよね。
きっと、ずっと我慢していたんだろうなと思うと、胸が痛みました。
年中の女の子でほかに甚平を着ていた子も何人かはいましたが、仲良しの友達はみな浴衣だったし、娘なりに感じたことがあるのでしょう。
「キラキラ」とか「ハート」とかが大好きなお年頃。そして、ズボンよりもスカートに憧れるお年頃。
甚平なんて・・・、という気持ち、胸に深く刻まれたかもしれません。
ごめんねという気持ちとともに、甚平イヤだ、髪の毛可愛くやってほしい、その気持ちをその場でパパにはぶつけずに我慢した娘に成長を感じずにはいられませんでした。
来年は、素敵な素敵な浴衣と髪飾り、用意してあげるからね。
ちなみに着ていた甚平はこちら。去年作ったもの。確かに地味。華やかさゼロ。
このパターンを使ってます。サイズ違いで4回くらい作っているけど、作りやすくて着やすいのでオススメです。
もしかしたら、これにしておけば、娘も満足してくれたのかも・・・。フリルじんべいだなんて、親子の課題を理解し尽くした商品・・・。
いやいや、でも、来年は浴衣を作ろう。
「考えない」工夫ー-食事の支度のボトルネックは何だろう
毎日の家事の中でも最もサボりにくいのが食事の支度。子どもはお腹が減るのです。娘の幼稚園は完全給食なので、支度と言っても平日は朝夜の2回ですが、それでも大変です。
以前は週末に作り置きをしていましたが、週末が家事だけで終わるのがイヤでストック作りもやめました。
その代わりに、宅配サービスをまたもや色々と検討。
これまで、「らでぃっしゅぼーや」に「パルシステム」、「オイシックス」、そしてカット野菜の「イエコック」を使ってきた経験があります。今回また改めて、これら(+おうちコープ)を比べてみました。
そしてオイシックスを再開。
決め手は「Kit Oisix」。食材と調味料のセットです。同じようなセットはらでぃっしゅぼーややパルシステムにもありますが、こちらは専用トラックで配送されるため曜日と時間の指定ができません。やはりそれだと不便なので今回はオイシックスに決定。
Kit Oisix(ミールキット)の通販・宅配サービス|オイシックス公式
他の宅配サービスのキットに比べると本格的なメニューも多いのがKit Oisixの特徴。確かに、普段あまり作らないようなメニューもあります。他のキットと比べて作るのに時間がかかるような口コミもあり迷いましたが、ものは試しにはじめてみることに。
野菜を切るか切らないか
少し前までは、カット野菜のイエコックを使っていました。こちらは、生野菜やスチーム野菜をカットした状態で配送してくれます。
これまで、食事の支度で最も面倒で時間がかかるのは野菜のカットだと思っていました。だからこそ、カット野菜の宅配サービスが重宝していたのです。
今回はじめたKit Oisixの場合、すべての野菜がカットされているわけではありません。自分で切らなくてはならない野菜もちらほら。そのせいで、オイシックス再開をしばらく迷っていたのも事実です。
野菜のカットよりも大変なこと
しかし、実は野菜のカットなんてたいした労力ではなかった。
Kit Oisixをいざ初めてみると、なんて楽なんだろうと実感しました。確かに野菜を切ることもあれば、調理方法がやや面倒なこともある。
でも、とにかく楽。
その理由は、献立を考えなくていいから。
そしてもうひとつ。食材が余らないから。
注文時に消費期限の異なるメニューを頼んでおき、あとは期限が近いものから作る。ここはもう完全に機械的な作業になりました。
そうしたら、なんだか何かから解放されたような気分。
確かにこれまでは、冷蔵庫の中を覗いては何を作るか考えていました。特に週の後半は、余った食材をうまく使い切ることを考えながら献立を決めなくてはならない。
実は、これこそがストレスだったのですね。献立を考えなくていいというのはこんなにも楽なのかと。
そして、食材が中途半端に余ることもないので、冷蔵庫の中も以前よりすっきりしています。
作業ストレス < 思考ストレス
つまりこういうことですね。
何かの作業をすることよりも、何かを考えなくてはならないということの方が、心が支配される分疲れるみたいです(あくまでも私の場合)。
無心になって作るだけでいいので案外娘とも話ができるし、それこそボーッとすることもできる。もう少し極めれば本くらい読めるかもと思ってしまうくらい、何も考えていません。
育児、家事、仕事、そしてちょっとだけ自分の時間、、、の繰り返し。毎日毎日、脳みそが解放されることって確かに少ない。
だからこそ、作業の軽減よりも脳みその解放の方が、日々のルーチンワークを楽にするのだなと。
リマインダーアプリなどを使うのもこれに近いのかもしれません。何かを覚えておかないとというストレスから解放されることで、なんだか楽になるものです。
まだまだ手のかかる5歳児。日々の生活を少しでも楽にできるよう、意識的に「考えること」をやめる方法を見つけていきたいなと思う今日この頃です。
【書評】お母さんの「敏感期」―モンテッソーリ教育は子を育てる、親を育てる
たまたま手に取った一冊の育児書、なかなか面白かったのでご紹介。
サブタイトルには『モンテッソーリ教育』とありますが、モンテッソーリ教育そのものを説明した本というより、モンテッソーリのベースとなった考え方が書かれた本だと思うといいかもしれません。
私自身、モンテッソーリ教育にこだわりが強いわけではありませんが、この5年間の育児で悩んだことが、一気に解明された気分にもなりました。そういう意味でも参考になる点が多かったです。
反抗期ではなく『敏感期』
成長の過程で幼児は『敏感期』と呼ばれる時期を通過するようです。自分を取り巻く環境から必要なものを吸収し、『自分』を創り上げていく時期です。
この時期に学び取るべきものを本能で知り、興味関心をいだいて吸収していく。でも、大人から見たら意味不明な言動も多く、無限に湧き出る子どものエネルギーを前に、途方に暮れてしまうこともあるものです。私自身、何度となく苛立ちをあらわにしてしまいました。
秩序の敏感期
魔の3歳児とはよく言ったものです。この時期は本当に、癇癪を起こして泣き叫んでいることが多かったように思います。
これが反抗期かと思ってなんとかやり過ごしてはいたものの、精神的には相当疲労します。
でも実は、これには理由があったのかもしれません。
モンテッソーリによると、子どもが不機嫌になる理由は、
敏感期にある子どもが何かに強い興味や関心をいだいたにもかかわらず 、大人の鈍感さによってその興味が断ち切られたときにあらわれるのだ
なんだとか。確かにそう言われればそうなのですが、ここで問題は、『何かに強い興味や関心をいだいた』理由が分からないことです。大人からしてみたらなぜこんなことを、、、と思う数々の謎めいた行動。そこに理由があったのだと知っていれば、育児はもっとスムーズだったかもしれません。
幼児のこだわりを説明付けてくれるのが【秩序の敏感期】。
2、3歳頃をピークに、順番や場所、所有物そして習慣などにやたらとこだわるようになります。この時期に、モノとモノ、コトとコトなどの相互関係が理解できるようになるようです。
娘はかなりの頑固者で、いつもと違うことが大嫌いでした。
2歳半を過ぎた頃、保育園までの通園途中で靴の中に入った石を出したことがありました。その日を境に、毎日同じ場所で同じベンチに座り、必ず石を出さないと気がすまなくなりました。
もちろん、石は毎日は入っていません。ほとんどの日が、何も入っていない靴を一度脱がせて逆さにし、中を綺麗にするそぶりを見せて再び履かせるだけ。
時間がなくて強引にこの儀式を端折ったら、それはそれは泣くは怒るはで大変でした。以降、素直に娘の思いに従ってきたわけですが(いつしか自然となくなっていました)、これも、秩序の敏感期だからこその行動だったのかなと思います。
こんなことの繰り返しも、子どもの成長には必要なプロセスなのですね。
感覚の敏感期
本書では、敏感期を3つに分けて解説されています。1つ目はすでに書いた秩序の敏感期。残り2つは感覚の敏感期と運動の敏感期です。
3歳から6歳くらいにかけて、五感が一気に発達します。この時期こそが【感覚の敏感期】です。興味津々のこの時期は、何を見ても、何を聞いてもあっという間に心奪われていきます。それは単に興味の問題だけかと思っていましたが、もしかしたらこれもまた、敏感期ならではの行動なのかもしれません。
味覚もこの時期に大きく発達するのだとか。「おふくろの味」を覚えてもらうためにも、この時期はできるだけ手作りの食事を意識したいとも書かれています。もちろん、手作りに超したことはないですし、やれる範囲でできる限りのことはしているつもりです。
でも、ファミレスや市販のお菓子、ジャンクフードなどもまた、成長課程でなくてはならないようにも感じます。友達との会話に出てくるファミレスの話題、遠足でのお菓子交換、人と人との繋がりが深くなるこの時期だからこそ、味覚だけにこだわるのではなくバランスよくいきたいなと思うのです。
運動の敏感期
最後は【運動の敏感期】です。
どういう時期かを説明するとても分かりやすい説明があったので、そのまま引用します。
この時期は 、一生に一回だけ人間が全力をだし切ることをけっしておしまないというめずらしいときなのです 。この時期を過ぎると 、人間は常に力を倹約する方に働き 、なるべく 「ラクをしたい 」と願い 、動かないですむような工夫をこらす時期に入ります 。
娘も例外ではありません。スポーツは得意な方ではないように見えますが、それでも体を動かすことはとにかく好き。
ベビーカーをやめた2歳半以降、お出かけでも顕著です。エレベーター、エスカレーターよりとにかく階段。
今でこそスイスイ移動できますが、2〜3歳のころはなかなか苦労しました。電車の乗り換えでも人の波が去るのを待ってからいざ階段に挑み(挑ませ)、最後の方は次の電車が入ってくるのといい勝負になるという。。。
育児は忍耐だなぁとよく思っていました。
こんな行動も、この時期独特のものだと思えば少しは心も軽くなるもの。「ずっと続くのかもしれない」という気持ちからの解放で、育児はずいぶん楽になる気がしています。
敏感期に教えたいこと
さて、こだわりの強い子どもの敏感期。ストレスに感じることも少なくはありませんが、だからこそ、ただただ苦しみながら過ごすのではなく、子どものために行動してあげたいものです。
多くのことを吸収しようとしている子どもに対して、親はどうやって「教えて」いけばいいのでしょうか。
幼児期に「学ぶ力」を身につけさせたいのであれば、「どう動けばいいか」を自分で学び取りたい「運動の敏感期」に、子どもが自分で「動き方」をよく見て、自分で取り組めるような機会をたくさん提供することです。
つまり、やり方を教えるのではなくて、やり方を見せる。あとは待つ(結局忍耐だ!)。
確かに我が子も、公園で初めての遊具を見ると、まずはひたすら他の子の様子を観察しています。また、保育園で先生がエプロンの紐をチョウチョ結びするところを毎日しつこく観察し(先生曰く、いつも背中側に回り込んで張り付いていたよう)、1人で勝手に習得してきました。
説明するよりまずは見せる。遠回りなようで案外近道なのかもしれません。
「見て」覚えたことの定着率は確かに高い気がします。親として、待つことはかなりの忍耐ではありますが、これで将来自分から学べる子になってくれるかもしれないと思うと、まあ待ってみるかという気持ちにもなるものです。
親の敏感期
初めて親になったとき、じつは親の方も「敏感期」に近い状態なのだとか。我が子のために「母である」姿を追求したくなる時期。それこそが親としての敏感期なのです。
敏感期にある子どもの興味や成長に敏感な感受性で接していくことで、母親として生きる長い人生の基礎ができるとのこと。確かに、今の時期の忍耐は(それはそれでかなりしんどいですが)きっといつか役に立つだろうと思うことはよくあります。
今は幼児相手に四苦八苦しているわけですが、育児においてはまだまだ序盤。これが小学生になるとより友人関係が複雑化し、中学生になり思春期を迎え、高校生では成人に向けてのラストスパートをきらなくてはなりません。子どもの成長段階で、いつも粘り強く見守ってあげられるよう、今は母親としての基礎を磨く時期なのかもしれないなと思いました。
これからはもっと子どもの感受性を意識し、合理的な考えは捨てて「待つ」ことに対して寛容になりたいものです。
感受性に着目した本書は、色々なことに気づかせてくれました。また、不可思議な/だった子どもの行動に納得感が持てた一冊でした。
こちらの育児書もおすすめです。
ティッシュケース作りーー女子力アップへの道
ゴールデンウィークも終盤の土曜日、我が家では特に予定もなくのんびりと過ごしておりました。
娘ものんびりとEテレを視聴(ダラダラ見はよくないと思いつつ、休みの日くらいうるさく言うのも気が引けて結構放任・・・)。
すると、こちらの番組が始まりました。手作りのおしゃれアイテムを紹介している(たぶん)中高生向けの番組です。5歳児には難しいと思うのですが、娘はこの番組が結構好き。
http://www.nhk.or.jp/gc/index.htmlwww.nhk.or.jp
紹介されていたのは、マットや食器などの下に敷く滑り止めとリボンで作るティッシュケース。
「作りたい」という気持ち
番組を見たとたんに、娘の創作意欲が炸裂!
リビングのラグをめくり、「ママこれちょうだい!」と。
でも、一緒に見ていたパパに話しを聞くと、それでは編み目が細かすぎるとのこと。そのことを説明すると、パパを引き連れ近所の100円ショップに出向いて行きました。
滑り止めとリボンを買ってもらい、見よう見まねで作り始めた娘。
私は完成形を見ていなかったため細かい作り方は分かりませんでしたが、ひとつハッキリしていたことは、このまま娘の想像力だけに頼ってもゴールしそうもないということ。
一緒に見ていたパパの記憶力を足し合わせても、完成まではほど遠そうだったので、パパがネットで調べてくれました。
要は、滑り止めの編み目に対してリボンを編み込んでいき端を止めてケースにするという流れ。
言うは易く行うは難し。何せ、作るのは5歳児。『縫う』も『編む』も初めての娘。本人はひとりでできると思っていたけれど、説得して一緒に作ることに。
途中で編み目がずれたり引っ張りすぎて抜けそうになったりしながらも、どうにか10本編み込みました。
その後、ボンドで端を止めて成形していくわけですが、結構時間がかかりそうだったので休憩させていったん私は買い物へ。
「ひとりでもできるんだ」という意欲
帰宅してビックリ。
ボンドで止める部分のリボンがバッサリとカットされている・・・・・。
パパ曰く、ママがいなくてもできると言って急に切り落としたそう。
本人も何やら良からぬことに気づいたようで、それ以上は手をつけていませんでした。
ひとりでやりたいと思ったその気持ちを傷つけないように、ちょっと手伝うねと言いつつ必死の修復。。。全体的に少し縮めてどうにか事なきを得ました。
きっと、最初からひとりでやりたかったんだろうなと思い、娘のそのチャレンジ精神になんだかホッコリ。
最後は爪楊枝を使ってボンドを上手につけ、洗濯ばさみで固定して接着。そして私の洋裁用品の中から引っ張り出してきたリボンをつけて完成。
ほぼ半日がかりの制作になりましたが、娘は大満足。
次なるステップ
ちょうど、そろそろ針を持たせてみたいなと思っていたところだったので、その前に手で「縫う」動きを覚えさせられたのは私としても収穫でした。
次は毛糸刺繍かな(毛糸針は先が丸いので)。早く一緒に洋裁を楽しめるようになりたい。
今回の制作でも思いましたが、娘の根性は結構すごい。最後までどうにかしてやり切るところは見習いたいほどです。
ただ、時として、手伝わないと無理だろうなと思うことも多々。こういうときに、どうやって声をかけるべきかいつも悩みます。「1人ではできないから手伝うよ」では夢がなさすぎる。本人は、大人が想像する完成度なんて求めていないかもしれない。それよりも、自分でやり切ることの方が大切なのかもしれない。
今回は、一緒にやろうと誘いながらやり方を見せる、時々手伝う、という作戦で乗り切ったけど、今後どんどん高度なことにチャレンジしていくことを思うと、やる気をつぶさない手伝い方を見つけていきたいものです。
思い起こせば1年半ほど前、いきなり娘が包丁を持ちだした頃も、最初はビクビクしていたけど、最後は思いっきり研いであとは自由にさせたっけ。切れ味抜群なら怪我しても治りが早いでしょうということで。針やミシンもまた、きっとこうやってハラハラドキドキしながら覚えていくのだろうな。
成長に感謝するとともに、感動する日々です。